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錯覚エピソード

ある日、横断歩道で「ある人A」が別の「ある人B」に

笑顔で手を振っていた。

その「ある人B」を見たら

手を振っているほうの「ある人A」の顔に似ていた

年齢は上のように見えたから

脳は勝手に自動的に無自覚に

「あ、親子が待ち合わせしてるんだな・・・」と錯覚した。

次の瞬間、その「ある人A」は「ある人B」を

素通りして、その後ろにいる「ある人C」と

楽しそうに会話していた。

「ある人B」は結局、何の関係もない赤の他人だった。

顔が似ていると勝手にこちらが思って

頭の中で関連付けが起こっただけ。

瞬間的に無自覚に・・・。

かくして、「ある人B」は、何事も無く

「ある人A」を素通りして行った。

当たり前だ、関係ないんだからもともと・・・

こんな錯覚が世の中のあちこちで

おきているきっと・・・

だから、確認しないと怖いことになる。

ところが、初対面同士などの場合は

気心が知れていないため

お互い細かいことまで聞けない

そこで空気を読んで察しあい。

お互いの中の頭の中の「個人的の中の常識」ですり合わせ。

結果・・・、ずれまくる。

最初から、お互いが異なる世界にいる

という前提がない世間(西洋の社会じゃない)

では、主語がないからその常識とやらは

誰の常識かは明示されてない。

「ルールの明示がないのにいきなりジャッジされる原因」

たぶんこの「個人的の中の常識」ってやつだ。

かくして、いつの世も弱者が悪者にされ

「常識知らず、礼儀知らず、なってない」ことにされる。

「ゆとり世代」などは、そういうレッテルをはりつけられた

一つの事例。

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