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林の奥に【ショートショート】

 迷った。
この先に駅があるはずなのに。
土の上を歩きたくなって、林の細い道に入ったのがまずかったか。子供の頃によく遊んだところなのにな。
 今日は、少し遠くの書店に行くつもりだった。人と約束はしていないから、焦ることはないのだが、どこにいるのかわからないというのは、落ち着かないものだ。
危険な所は無かったはずだから、このまま歩いてみようか。太陽を見ながら一定の方向に行けば、どこかに出るはずだし、木々の間を歩くのは気持ちがいい。
たぶん大丈夫。
 童心に帰って、葉っぱや枝を拾ったりしながら歩いていたら、少し先に梢が開けているのが見えた。道に出られるかな。

 木々を抜けると、大きな建物があった。ドーム球場くらいはあるだろうか。いつ建てられたのだろう。この林って、こんなものが出来るほど広かったかな。
塀に沿って歩いていくと、通用口らしき壁の切れ目があった。
 ワイシャツ、ネクタイに作業服のジャケットを着た人が、缶コーヒーを片手に佇んでいる。
思いきって話しかけてみた。
「あの、すみません。道に迷いまして、ここはどの辺りなのでしょうか。駅かバス停に行きたいのですが」
妙な所から現れて、不審者に見えるかもと思うと、悪いことはしていないのに、どぎまぎしてしまう。
思いがけず現れた巨大な建物に、何か秘密めいたものを感じ、自分は一般市民で、悪意など無い事をアピールせねばという気持ちになった。
 その人は一瞬、戸惑ったような顔をしたが、
「まだ開けていないし、温かいからどうぞ」と、気さくに缶コーヒーを勧めてくれた。道に迷った僕を労ってくれているらしい。
彼の態度にほっとして、ここはなんの施設なのかと尋ねてみたら、国土保全の為の研究所だと言う。
「あ、はい」と間抜けな返事をした。
僕がわかっていないのを察したようで、
「お時間ありますか。せっかくですから、どうぞ見ていってください。ここまで来てくれる方は、なかなかいらっしゃらないのですよ」と通用門の中に入れてくれた。
休憩中なのではないかと聞いたら、時間をずらして後で休めるそうなので、見学させてもらうことにした。

 敷地内を歩いて、正面入口に廻る。
しばらく持ち場を離れると同僚に伝えてくるから、少し待つようにと言われた。
 廊下の奥から明るい日が差している。
ガラス張りの、かなり広そうな温室があり、大きな長い葉が見える。
入口ホールには、この施設の概要なのか、展示物がある。
富士山周辺のジオラマの中に、この施設らしき建物の模型もあった。他に、展示のメインであろうところに、富士山に巨大なバナナが貼り付いている写真が何枚かある。
 なにこれ。

 彼が戻ってきた。
「お待たせしました。まずは、あちらの温室に行きましょう。
富士山が見えますでしょう。あの大沢崩れを塞ぐバナナを育てているのですよ」
「崩れを塞ぐ。バナナで、ですか?」

「富士山は国土の要なのです。
ここは富士山、主に大沢崩れを保全するための研究と、修復作業を行っております。
あの大きな崩れを定期的に補修して山を守ることで、国土の崩壊を防いでいます」

「おおまかな流れとしては、バナナを育てるのと並行して、大沢崩れの形状を計測します。観測所がいくつかありまして、ここでデータを解析しています。
そして窪みの形に合う実を探し、それを拡大して、崩れに納めます。
 崩れの計測やバナナの拡大などは、技術開発で進歩させてきましたが、形状に合う実ができるかどうかは、いまだに運任せの部分が大きいのです。
農業分野の研究者が、長期使用に耐える品種や、土を留める糊としての性質の向上などの改良は進めておりますが、実の形に関しては、思い通りのものを必ず作れるとは言い難いのが現状です。
 大沢崩れも日々形が変わっていきますので、その時々にふさわしい形の実を選びます。
 修復予定日に予測した崩れの形状に合致、又はなるべく近い形状の実を探すのが、一番大変な作業でして、その時期は研究分野に関わらず、研究員がほぼ総出で探します。
うまく納められると、その年は富士山はもちろん、国内には自然災害がほとんど起こらないのです。
 ホールの写真は拡大直後のものですね」
 さっき見た写真のことだな。
「バナナの皮部分が、土を留める糊となるように改良したのです。
中の実の部分は皮より早く溶けて、徐々に潰れながら窪みにフィットしていきますので、全く同じでなくても良いのですが、窪みの形に近い方が早く土に触れて糊となりますから、似ている形のものが望ましいのです。
土に染み込んで固定する迄の時間は、短いほうが良いですから」

 ちょっとひと呼吸したくなって、温室を見渡した。
区画によって実の大きさが違っている。収穫時期をずらしているのかな。
バナナの木、本当は「木」ではないらしいけど、は全体に白っぽいベージュで、なんとなく白熊のようだと思った。
 それに、バナナの実が黄色でなく白い。生り始めは葉と同じ色だが、実が熟すにつれて真っ白になっていくようだ。
「白いのですね」
「ええ、白い実になるように品種改良しました。白なら遠目には雪に見えますので」
 ホールの写真が色褪せていたわけではないのだな。
「土に触れると糊化が進み、かつ透明に変化していくように改良しています。雪に見えるとは言いましても、やはり違和感は拭えませんのでね」
 
「時期としましては、毎年、冠雪する頃に土を固定します。
夏の登山シーズンは人が大勢いますので、避けなければいけません。かといって冬場は雪が溝にも積もりますので、土の固定はできません。
 ですので秋口の、登山者が減り、雪があってもおかしくはない時期に行っています。
 選別した実をヘリコプターで運び、向きを合わせながら降ろした後に、特殊なレーザーを当て、崩れの大きさに調整しながら拡大します」と、照射する方向を指し示した。
「ヘリコプターで運ぶのは、周囲に人がいないことを確認するためです。
ここからロケットのように飛ばすことも可能ですが、登山している人を巻き込んではいけませんので、ヘリで運ぶ方式を採用しております。
登山届は確認致しますけれど、提出せずに山に入る人がいるかもしれませんので」

「なぜ、バナナなのでしょうか」と聞いてみた。
「私共が開発しました、拡大作用があるレーザーが、植物にのみ有効なのです。
 崩れの形に似ている枝豆など鞘付きの豆類や、芋類なども試してみましたが、土を留める糊として優れていることと、通年栽培が可能であることから、バナナが最適であるとの結論に至りました。
見過ごせない崩落が起きた場合は、緊急に実の選別をして、補修を行うこともありますので」
 温室からホールへ戻る。
「計測室とレーザー研究室は、外部の方は入室できませんので、口頭での説明のみとさせていただきます。
まあ、見ていただいても、室内はコンピューターや機械が並んでいるだけですから」
「え、見たい」と思ったが、立ち入り禁止なら仕方ない。
外には、ヘリポートが二つとヘリの格納庫があり、建物内部は、ほぼ半分が温室で、計測室、レーザー研究室と照射装置があるそうだ。
 照射装置は見たいなあ。でもきっと企業秘密なのだろう。
 
「富士山と国土の関連性や、その中でも大沢崩れの保全の重要性。修復にはバナナが最適であるとの結論に至る研究の歴史については、話しが長くなりますし、資料室の閲覧もできますので、よろしかったらまたおいでください。
 今日はご来館くださいまして、ありがとうございました。
 林の中で迷われたとのことでしたね。こちらの正門から行くと良いですよ」と見送ってくれた。
 お礼を言って、研究所を後にした。
正門から歩くと、すぐに広い通りが見えた。
 
 いつも視界の端にあった林から街を眺める。
 僕はこの中だけで暮らしていたのだな。 
 
 バナナで富士山を、国土を守っているというのは、正直なところ理解が追いつかない。
でも、あそこの人達は、真剣に取り組んでいた。
「名もなき人」と言っては失礼なのだろうが、僕が知らなかっただけで、世の中を支えている人は、きっと大勢いる。
同年代の人が活躍しているニュースなどを見ると焦ってしまうけれど、地道に日々を過ごせば良いのだと、素直に思えた。

 それにしても、あの拡大レーザーって、世界の食糧事情を変えかねない機密だと思う。
そんな技術がある事自体を、隠さなくていいのかな。
僕みたいな通りすがりの市民にも公開するなんて、無防備だと思うのは、考えすぎだろうか。
 
 あの研究所は本当にあったのかな。
狐につままれたのでなければ、資料室も見たいし、また行ってみたいのだけど。行けるかな。

 〔終〕

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