寂しくても人と共存できない孤独という病

寂しいのに、人といても楽しくない

こんなことを感じたことがあるだろうか。


私は大学時代、私は孤独だった。

学部には馴染めず、サークルに入っても浮きまくり、大学でも学外でも1人も友達ができなかった。
ずっと1人で、話し相手がいないのは寂しかった。

あまりにも寂しくて、インターネットを通じて人と会ったり、小学校時代に親しかった人と会ってみたりした。

しかし、人と会っても全く楽しいと思えなかったのだ。

会話を通じて、私生活が全く充実していないことがバレていくのが怖かった。
大学は楽しくなかったし、彼氏を作ろうと婚活パーティーに行っても全くダメで、アルバイトでも怒られまくり、何もかもがうまくいっていなかった。
1人で行ったのに友達と行ったことにしたり、色々嘘をついたりもしたが、私が放つ暗いオーラからうまくいっていないのが見え見えな気がしていた。

共通の趣味があれば、その話だけしていればいいのだろうが、私には人と共有できる趣味がなかった。
特に女性同士は恋愛が主なトピックで、共通の趣味がない上にそれもないと本当に話すことがなくなってしまう。

何気ない相手の一言でものすごく傷ついた。
私が芸能人で誰がかっこいいか、という話題を出すと、「現実の話はないの?」と言われたことがある。
私は恋愛経験がないことを馬鹿にされたと思った。

相手の話を聞く余裕がなかった。
相手の話に私が言葉を返す度に「コイツは何も分かってないな」「人としての経験値が足りないんだろうな」と思われているんじゃないかと思っていた。


孤独という病の正体は「圧倒的な劣等感」だった。

寂しいなら人と会えばいい、という人がいるだろうが、
孤独はそんなに単純な問題ではない。

とにかく、何をやってもうまくいかない私生活にものすごく引け目があった。
そもそも人と会っても話したいことがなかったし、自分が寂しい生活を送っているのがバレるのが怖かった。

自分が相手にどう思われるか、それしか気が回らなかったのだ。

私生活を自慢するために人と会おうとしているわけではなかったが、実際、私ほど寂しい生活を送っていた大学生はなかなかいないと思う。
嫌われ者で仕事も全くできない、何もいいところがなく自尊心が地に落ちていた私には、相手が何気なく放つ言葉に異常に過敏になっていた。

結局何をするにも最低限の自尊心は必要で、1人で立てなければ人と共存することもできないのだ。

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