「意志が強い」と「頑固」の違い
「意志が強い」と「頑固」は、両者とも特定の目的に向かってある行動を繰り返す、という似たような意味合いではあるが、前者は肯定的、後者は否定的な意味合いで使われる。
私が思うに、"意志が強い"と"頑固"の違いは、
その人自身の違いではなく、その人に対する他者の捉え方の違いである。
「意志が強い」は相手が自分にとって都合よく動いてくれている場合、もしくは自分から見て正しいと思われる行動をしている場合、
「頑固」は相手が自分にとって不都合な方向に動いている場合、もしくは間違っているように見える行動をしている場合に使われる。
私は、大学受験や就職活動の時、母とことごとく意見が合わなかった。
私が進もうとしている方向と、母が進んでほしいと望む方向はいつも違っていた。
母は、都内の有名私立大学を目指して浪人した私に「頑固」だと言ったが、もし母のお望み通り国立大学の薬学部を目指した浪人であれば「意思が強い」と思われていたと思う。
しかしよく考えてみると、私立大学に入るにしろ薬学部に入るにしろ、「浪人して受験勉強をする」という行動は変わらないのだ。
これまでの人生で、私の周りは私を「頑固」だと言う人ばかりだった。
親だけでなく、教員やカウンセラーなど、私の周りの人は揃って私を頑固だと言った。
しかし振り返ってみれば、そういう人たちの言う通りにしておけばよかったと思ったことは人生で1度もないのだ。
今思えば、私を「頑固」者扱いすることで、私の決断が間違っているかのように錯覚させ、自分の都合のいい方向に扇動しようとしたのだと思う。
私の周りの人たちは、大学受験や就職活動など人生を左右する大きなイベントで、私本人が自分なりに真剣に考えた決断を、大した根拠もなくいとも簡単に無理だと否定した。
私から見れば、その人たちのやっていることは人として終わっていると思う。
養護教諭だったりカウンセラーだったり、一応支援者であるはずの立場の人でもそんなものなのだ。
私ごときの人生がどうなろうと、本当にどうでもよかったのだろう。
他人から見れば、自分などその程度である。
だから「意思が強い」人になる必要はないし、「頑固」な人でいればいいと私は思う。
自分の幸せを本気で考えられるのは自分だけなのだ。
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