「絵も描ける陽キャラ」の脅威
先日、知り合いのある女性が退職したことを知った。
彼女は誰にでも明るく振る舞う人だった。
また学生時代からバスケットボールを続けているそうだ。
明るくて友達が多くスポーツが得意な、いわゆる「陽キャラ」である。
そんな彼女が退職し、スタイリスト兼絵描きとして生活していることを知った。
学生時代の知り合いから仕事を請け始め、顧客を増やしていったようだ。
しかも彼女は、会社に在籍している時点で自分の店を持っていた。
偏見に満ちたとても失礼な言い方だが、一見完全に外交的なタイプに見える彼女が、絵を描くという内向的な人が好みそうな趣味を持っていて、自分の店を出して収入を得られるほどの成果を上げていたのだ。
正直、ちょっとショックだった。
ダンスサークルに所属しながら小説家になった朝井リョウが「作家を夢見る早稲田の読書家たちが、一番脅かされたくなかっただろう人に脅かされている顔を見たかった」と言っていたが、まさにその脅かされた側の気分だった。
内向的な人、いわゆる"陰キャラ"は「独特のセンスがある」とか「芸術家に向いている」とされることがよくあるが、それは褒められる点がないために仕方なく言われている場合が多い。
考えてみれば、明るく外交的な人に対して「大して深いことは考えずに生きているのだろう」「自分にはあの人たちにはない感性がある」と勝手に思い込んでいるところがあったのかもしれない。
みんなに好かれている人より、内向的で協調性のない自分の方が優れているところもどこかあるはずだ、と思いたかったのだと思う。
しかし、劣っているところと同じくらい優れているところがあるとは限らない。
できないことが多いからといって、それをカバーするほどの別の才能に恵まれているとは限らない。
何でもうまくこなせる人もいれば、何をやってもダメな人もいる。
人のすべての能力値の総合点が100点だとして、すべての人が同じ点数になるはずがない。
私はコミュニケーション能力や人当たりの良さ、事務処理能力など、最も分かりやすい分野の能力はボロクソに欠けている。総合点でいえば10点にも満たないだろう。
"特別な何か"を見つければ、総合点を底上げすることもできるかもしれないと思い、その"特別な何か"とやらは"内向的で暗い気質から生み出される独特のセンス(笑)"的なものだと信じてきたが、いまだ見出せていない。
私がちまちまやっている作品もこうして書いている文も、大して多くの人には見られていない。内向的な特性を活かせるはずの創作分野でさえ、誰にも評価されていない。
対して彼女は、学生時代の人脈を活かして仕事を広げ、多くの人に認められ、収入を得ている。
リアルで培った人間関係をフルに生かしているのも、さすが陽キャラである
いくら素晴らしい作品を作ろうと、人に見られて評価されなければ意味がない。陽キャラが持つ社交性はどの分野においてもアドバンテージになるのだ。
私と彼女、どちらが総合点が高いかは明らかである。
内向的な人には内向的な人の良さがある。
否定はしないが、外交的な気質の方が世間では有利に働きやすいことは間違いない。
内向的な人が得意とされる分野も、外交的だからといって不得手だとは限らないし、外向性を活かして侵略してくることさえある。
外交的な人の主なフィールドであるリアルの世界はもちろん、内向的な人の陣地だと思っていた創作の世界でも成功していない。
現状、私はただ陰気で愚鈍なだけの人なのだ。
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