午前は公立小学校教師、午後はフリーのデザイナー。複業で学校に関わる人が増えれば、プラスの変化が生まれる。
午前中は公立小学校で非常勤講師、午後はフリーランスのデザイナーとして社会課題にデザインの力でアプローチする「ソーシャルデザイン」を実践している、阿部至さん。
高校時代から教師を目指し教育学部に進学した阿部さんが、デザイナーとして「学びを変える」ことを決めたのは、なぜだったのでしょうか。
教員免許を持ちながら、広告会社、ソーシャルデザインを手がける個人事務所、教育系NPO法人、そして現在の非常勤講師+複業という歩みを経てきた阿部さんのストーリーをお届けします。
1枚の広告ポスターに、教育の問題は教育分野だけで解決するものではないと気づかされた
── 非常勤講師とデザイナーという2足のわらじで働かれているようですが、最近の1日のお仕事の流れを教えていただけますか?
午前中は島根県雲南市の公立小学校で、「特別な支援のための非常勤講師配置事業(にこにこサポート事業)(※島根県教育委員会事業)」のにこにこサポートティーチャーとして働いています。
算数を主な担当として通常の学級にチームティーチングの形で入り、日々担任の先生とやりとりをしながらその日の業務を進めています。場合によっては別教室で1〜2名を対象に教えることもあります。
学校で給食を食べたら、午後はフリーランスのデザイナーとしての仕事を始めます。1日の流れはそんな感じですね。
── なぜ、教師とデザイナーなのでしょうか?
大学時代からずっと、デザインで教育現場の課題解決をしたいと思っていて。
小・中・高と素晴らしい先生方に恵まれて、自分もこの仕事をしたいと教育学部に進学しましたが、同時に自分の根底にあったのは、より自分が必要とされ感謝されるような、社会をよくすることを仕事にしたいという気持ちだったんです。
大学では発達障害の分野、特に自閉症の研究領域を専門として選んだのですが、その理由も当時は「自閉症の病因が育て方によるものだ」と社会的に誤解されていた課題を、何とかしたいという使命感からでした。
そんなとき、新聞に広告掲載されていたある自閉症の啓発広告ポスターと出会って、自分が教育業界でやろうとしていることを新しい切り口で解決しようとしている人たちがいるんだと衝撃を受けました。
当時は、広告業界におけるスキル・ノウハウを社会課題解決のために活かしていこうという「ソーシャルデザイン」の動きがちょうど生まれ始めたころ。今でこそ一般的ですが、とても革新的な取り組みだったんです。
僕にはそれが“何だかすごい”力を持っていると感じられましたし、そもそも教育の問題は教育分野だけで解決するものではないよなと思えて。
そこからこうした広告を作る人たちがどんな人たちなのかを調べ始めて、「どうやら美術大学から大きな会社に入らないと難しそうだ」と。絵の勉強を始めて東京の大学を受けて、デザイン科のある東京工芸大学に入学することにしました。
稼げるけれど実現に時間がかかる大きな会社より、すぐに行動に移せる小さな会社
── デザイン科に入られてからも、教育に関わることは続けていたのですか?
はい。大学ではソーシャルデザインの第1人者である福島治(ふくしま・おさむ)教授のもとで教わっていました。例えば、海外の途上国支援はどうすればもっと世の中の人に認知されるようになるのかなどを研究していたのですが、その傍ら「デザインと教育」というテーマで、プロボノのような形でいくつかイベントのお手伝いをしていました。
── そこから大手広告会社に新卒で入社されて、教育分野でのソーシャルデザインの実践は叶えられたのでしょうか。
それが、正直何もできなかったんです。何かしなくちゃと思いつつ、多忙すぎて2年3年が過ぎていって。
「大企業でソーシャルデザインをバリバリやってやる!」と思っていたけれど、全然できなくて。広告会社はお金はたくさんもらえても余暇がなかなか捻出できず、お金にならないソーシャルデザインはその中でさらに力をつけないと大きな組織の中では叶えられないのだと知りました。
転機は、このまま会社で力をつけていく選択は時間がかかりすぎるから、僕が個人でソーシャルデザインに歩み寄ったらいいのではないかと思い始めていたある日のことで。大学時代の恩師である福島教授から、朝4時にメールが届いたんです。
福島治さんは個人でデザイン会社を経営されているのですが、「商業的なデザインにピリオドを打ち、残りの人生はソーシャルデザインの探究と実施を行う」と決めて活動されており、僕の周りに即戦力になる社会的な志を持った人はいないかという相談内容が綴られていました。
その当時僕はもう結婚していましたが、即座にこれは自分のことだと思いました。朝4時でしたが妻を起こして、今の給料と比べたら絶対に下がるし、いくらもらえるかわからないけれど、転職してもいいかと尋ねて。
妻がすごいなと思うのですが、そこで2つ返事で受け入れてもらえたので、朝の5時に「それはたぶん僕のことだと思います」と返信しました。翌日には、会社にも退職願を提出しました。
── 教育学部からデザイン学科への学び直しの際もそうでしたが、迷いはなかったのですね。
悩みはするんですけど、ドラマチックな方を最後は選ぶと決めているんですよ。その方が人生ワクワクするんじゃないのかなと思っていて、最終的にはえいっと飛び込むタイプなんです。
その理由は2つあって、昔からワクワクすることが大好きだったのと、自分の勘もけっこう信じてるんです。そうして飛び込むといつもいい結果がついてきて、いっそう強化されていったのだと思います。
高校1年生の夏、校外学習で人が泳げる川があって、先生が「せっかく暑いし気持ちよさそうだから、誰か飛び込んでもいいよ」と言ったので、えいっと飛び込んだら他のみんなも飛び込みだしたことがあって。
そのとき「ファーストペンギン最高だよね!」と先生に言われてすごく嬉しかったので、その思い出も今の僕を作っていると思います。
デザインのフィールドで教育の案件を待つのではなく、教育のフィールドでデザインを活かす
── 福島教授のデザイン会社では、どんなお仕事をされてきたのでしょうか。
社会のために活動しているNGO・NPOさんとのお仕事や、企業の中でCSV活動としてチャリティイベントをする際のポスターを作成していました。
あるときは寄付を募るために目新しい大きな募金箱を作って代官山に置いてみようとか、そういうことを年中やっていましたね。
教育分野では、障害を持った方のアート作品を世の中に発表していこうと、障がい者アート作品をストックしている団体さんとコラボレーションして商品開発させていただきました。自閉症の子どもたちの可能性を社会とミックスしてインパクトを起こせないかとずっと思っていたから、一番思い出深い仕事ですね。
ただ一方で、転職してからも「教育×デザイン」には様々なハードルを感じていて。学校現場からデザイン会社に依頼なんてこないですし、公募もなかったですから。
── そうだったのですね。では、認定NPO法人カタリバ(以下、カタリバ)に転職されたのも、そうしたことがきっかけだったのですか?
いえ、家庭の事情で妻の実家に帰ろうということがきっかけで。妻の実家は島根県にほど近い鳥取県のある地域なのですが、仕事なんてあるから帰ろうよと即決したものの、探してみたら広告会社が近隣地域にまったくなかったんです。
そのとき、夫婦で「これはチャンスでしょう」という話になって。今までデザインを社会に活かす経験を東京で重ねてきて、いよいよ30歳になる今こそ、本丸である教育現場にいくべきでしょうと。
デザインというフィールドで教育の案件は中々なかったけれど、教育のフィールドでデザインを活かしたい人はたくさんいるんじゃないかと改めて仕事を探したら、全国の学校に多様な出会いと学びの機会を届けているという認定NPO法人カタリバを見つけました。求人を確認したら、なんと島根県雲南市の職員募集があったんです。
妻には「まったく知らない団体だけど、教育業界でいろんな挑戦をしていておもしろそうだから、とにかくエントリーして代表にお話聞きに行ってみるね」と伝え、実際に採用過程でここなら何だかいろんなことができそうだと感じました。
最終的に、無事にカタリバ職員となり、島根県で高校魅力化コーディネーターとして働くことになったんです。
ビジネス経験を持つ自分の存在が、子どもたちにとっておもしろいモデルケースになる
── 島根県は教育で先進的な取り組みをされている地域ですね。高校魅力化コーディネーターとは、いったいどのようなお仕事だったのでしょうか。
島根県の離島・中山間地域の県立高校で、2011年から地域と連携した魅力ある高校づくりを目指した「高校魅力化・活性化事業」が始まりました。各地域での取り組みを支え、社会に開かれた学校づくりを推進する専門人材として配置されることになったのが、高校魅力化コーディネーターです。
具体的なあり方は一つに決められているわけではなく、学校や地域によって多様です。また、必要とされる場所は小中学校にも広がりつつあって、島根県に留まらずに全国各地での取り組みが始まっています。
雲南市は、「子ども×若者×大人×企業チャレンジの連鎖」による持続可能なまちづくりを推進していて、チャレンジャーが育ち合う生態系を育み、地域全体で社会課題を解決していく「雲南ソーシャルチャレンジバレー構想」を掲げています。
そうした特色もあり大人のチャレンジャーと高校生のマッチングに力入れていて、例えば訪問看護のプロフェッショナルがたくさんいるので、将来看護師を目指している高校生たちと一緒に探究的な授業を企画したりしていました。
── 学校で働き始めて、異業種だったからこそ感じた困ったことはありましたか?
学校文化に触れるのは学生だったとき以来ですし、やっぱり違いはすごく感じてしまいました。困ったことは、これは学校によって違うとは思いますが、ICT教育が推進されていながらも想像以上にアナログ文化だったことです。
あとは、何か一緒に協業しようとした際、どうチームを作っていくのかにとてもパワーを使いました。
例えば、すべての先生とお話をしたくても、みなさん協業に前向きでも、多忙すぎて時間を合わせられずミーティングの時間が中々設定できなかったんですよ。
そもそも会議を設ける前提で授業が設定されてないですし、放課後も部活があったり、それ以上残業もさせられないので。先生方もいったいどうしたらいいかねと、相当悩まれていました。
── 一方で、よかったことはありましたか?
一つは、おもしろいモデルケースとして僕自身を子どもたちが楽しんでくれます。高校魅力化コーディネーターという仕事もめずらしいですし、島根県の場合だと東京にいたというだけで生徒としては興味津々です。
僕の場合はさらに広告業界なので、「そもそも何をするお仕事なんですか?」というところから始まるんですよね。高校では、美術部の子がキャリア選択の際に「このまま趣味で終わると思っていたけれど、先生みたいな働き方もあると知って専門学校へ進学を考えています」と言ってくれたこともありました。
あとは、専門スキルが何らかの形で使えるはずです。僕の場合は例えばワークシートを子どもたちが取り組みやすいよう工夫して制作することができました。
デザイナーは物事を整理してわかりやすく伝える立場なので、生徒たちをクライアントと見て、この子にはこんな整理の仕方が一番いいのではという提案を先生とは違った形でできるのではないかと思っています。
デザインの力でワークシートを魅力的にしたらモチベーションが上がるんじゃないのかというのはずっと構想していたことなので、それが実践できていることはとても嬉しいことです。
── 高校魅力化コーディネーターからにこにこサポートティーチャーに移られたのは、どんなことがきっかけだったのでしょうか。
実際に学校に関わり出してみて、やっぱり自分は現場で子どもたちの様子を見ながら働いていきたいと感じました。でも、高校魅力化コーディネーターとしての業務は総合的な学習の時間を担当しつつも県外留学の生徒募集業務を担ったりと、必ずしも常に生徒の現場に立てるわけではなかったんですね。
また、もともと小学校の教員志望で、小学校へのデザインアプローチに非常に興味があったんです。
そんなとき今の仕事のお話をいただいて、午前中は講師として現場と向き合い、午後からは他の働き方もできるということで、自分のニーズに非常にマッチしたことから転職することを決めました。
働き方としていま一番主軸にしているのは、クリエイターという立場なんですよね。午前中も非常勤講師兼クリエイターという心持ちで、学校内の課題を解決している感覚なんです。午後は雲南市の起業家さん、NPOさんたちの社会的な課題を解決するためサポートしています。
また、近隣の住民が集うコワーキングスペースのようなところで高校生の相談を受けたり、高校魅力化コーディネーターから相談を受けたりもしているんですよ。これまで自分が高校魅力化コーディネーターとしておもしろがっていたことを、今も違う形で継続しているんです。
ただ、案件にもよりますが、基本的にはボランティアなので、そこは悩ましいところですね。社会的にいいことをして、きちんと対価をいただいく働き方にしたいのですが、なかなか一筋縄ではいきません。
雲南市には市が運営する起業塾があるのですが、そこに参加して、僕みたいな個人事業主がどうやったらより良い活動ができるのか現在は絶賛構想中です。
眠らせている教員免許状があるのなら、まずは非常勤講師として学校に関わってみてほしい
── 最後に、異業種からの学びの現場で働きたいと思っている読者に向けて、これまでを振り返って一言いただければ幸いです。
教育業界へ転職する前は、正直やっていけないんじゃないかと不安に思ったりもしたのですが、実際の学校現場はそんなことはなかったです。もし教員免許状を眠らせているのであれば、教育のどこかの部分に必ず魅力を感じているはずですから、それを使った方がいいよと僕は伝えたいです。
いきなりフルタイムで関わることには抵抗があっても、私立の場合は複業可否は学校によるのですが、公立小学校での非常勤講師としての僕のような働き方もありなんじゃないかなと。
現場は人手不足もあってウェルカムな状態だと思っています。異業種から人が入ってくるだけでガラッと何かが変わるわけではないのですが、それまで培ってきた言語化されない魅力が子どもたちに絶対に伝わっていると信じています。
それは子どもたちにも、先生方にとってもプラスの影響になるはず。ぜひいろんな経験をされてきた方に、非常勤や支援員のような形で学校に関わることにトライしてほしいなと思っています。
(文:桐田理恵、写真:佐々木哲平、編集:田村真菜)
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