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褐色細胞腫闘病記 第13回「2回目の手術」

棚沢教授がある日、独り言をつぶやくように私に言った。

「我々外科医は、神の手で造られたものを侵襲する仕事をしているということなんですよね」
「しんしゅう?…ですか?」
頭の中に『信州』という漢字が浮かぶ。
は? 信州というと、リンゴ…? 思考が遊び始める。同時にとても戸惑う。よくわからない。

「そうです、本来手を加えてはいけない領域を侵すのが外科医の仕事です」
ここでようやく『侵襲』という漢字が私の脳内で変換される。
棚沢教授が続ける。
「神の領域に入って勝手に壊して、それでも悪いものを取り去らないといけない。しかしまるで神がまるで我々を怒るかのように "癒着" が始まります」
うーん、ますますよくわからない。
「まるで『これ以上お前たちは何もするな』って言うかのように、神に拒まれるんです」

棚沢教授が敬虔なクリスチャンであることを後から知ったが、先生は時折こんなふうに私に理解できない言い回しをすることがあった。
今回は先生が何を言っているのか1ミリも理解することができなかった。

それをざっくりと噛み砕いて解説してくれたのが、当時外科医2年目の、新しく担当に加わった藍野みどり先生だった。
リスのようにくるくると回る大きな丸い目と大きな前歯がチャーミングだ。

「三島さん、癒着っていうのはね、手術を受けた後に腹膜とか内臓同士がべったりとくっついてしまうことを言うの。」
「それは防げないのですか?」
「今の医学では難しいんですよ」
「じゃ、どうするんですか?」
「癒着を丁寧に剥がしながら手術することになるから、とても時間がかかるし2回目からはとても難しくなるの」
えぇっ。前回13時間半かかったけどそれ以上になるの?
私は心底ゲンナリする。痛みもそれだけ増すのだろうか。

みどり先生が和やかな声で私に話す。
「癒着が強いとね、腸閉塞になったり、不妊になったりします。だから…」
「あ、私はもう子供は持たないでくださいって言われているのでそれは大丈夫です」 先回りして応える。

実家に置いてきた私の子、野乃子のことを思う。
野乃子は祖父ちゃん祖母ちゃんのもとで毎日ニコニコしていてくれるらしい。
自分の母親が病気だということを1歳の子がどこまで理解しているかはわからないけれど、突然いなくなった母を探して泣くようなこともないらしい。
娘は自分がどうすれば周りが困らないか、こんな小さいのに全てわかっているかのようだと私の母が言う。
幼い娘に我慢させていることを切々と感じながら、とにかく早く手術を終えて娘のもとに戻らないと、と強く思う。
前回とはその心持ちが全く違う。
私を心の底から待っている子供がいるんだ。

「でも、今回は腫瘍が小さいので癒着さえ剥がせば手術自体は速いと思いますよ」
「まあ、私は寝てるだけなので、みどり先生、頑張ってください♪」
私がわざとふざけた口調で言う。親しみやすい雰囲気の同性の先生がいてくれて、心強い。
「ま、私は助手の助手だからなんにもできないんですけどね。また棚沢先生に執刀してもらえるなんて三島さんラッキーよ」
「でも…痛みはやっぱり怖いです。ボルタレンサポ以外の鎮痛剤が私にはあまり効かないので」
「効く薬があっただけマシですよ。普段からアルコール漬けの生活送ってる人はそれこそ鎮痛が無効ってことも多いんですよ」
「それは耐えられませんねえ…」
「そう、三島さんは大丈夫よ。前のオペは本当に大変だったらしいから。それを乗り越えられてさらに出産までしたんですもの」
さりげなく励まして勇気づけてくれるみどり先生に心の中で御礼を言う。

2度めの手術は、前と全く同じ場所を切った。
ベンツのマークがまたひと回り大きくなった。
10時間。みどり先生の言った通り、前回より3時間半短くなった。
だが、痛みの度合いは全く同じだった。いや、むしろ痛みは増していた。

ただ、2回目ということは、学習ができているということである。
私はとにかく一刻も早く「立つ」ことを目標とした。二の足で立てれば回復が早くなると学んだからだ。
ボルタレンは遠慮なくバンバン使った。
痛みに負けそうになるたび、前の手術の時に担当になった本田翼看護師の言葉をいつもいつも反芻した。
「切ったんだから痛いのは当たり前ですよ」

そう、痛いのは当たり前。死んでしまったら痛みすら味わえない。
頑張れ、頑張れ私。

早く退院して、野乃子を抱きしめるんだ。

頑張れ、頑張れ、頑張れ。

私はたくさんの管をぶら下げ、尿管を付けたまま、廊下を歩いた。
髪を振り乱し、幽鬼のような姿で私は歩行練習をする。
「三島さん、無理しちゃダメ」
看護師が驚いて私に寄り添う。
「大丈夫です。私は早く退院しなくちゃならないから」

一歩、一歩、一歩。さらに一歩。

さあ、次は肺の手術だ。
そしたらもう、今度こそ本当に私は健康を取り戻せるはず。

一歩、一歩、一歩。
あと一歩。もう一歩。
歩け。歩け。歩け。

絶対治ってやる。ちくしょう、見てろよ。

私は病院中の医師が驚くほどの回復速度を見せ、1カ月で退院した。


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