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褐色細胞腫闘病記 第21回「わるいもの」


夕食の片づけをし、野乃子とお風呂に入る。
「これはママのしるし」と伝えてきた、たくさんの私の手術痕。
ずっと見慣れている野乃子は、もう殊更何も言わない。
でも、今日は珍しく野乃子が私のベンツロゴに触れた。

「ママのしるし、だんだんおおきくなるね」
「そうね、でもここからわるいものがでていったんだよ」
「もうわるいもの、いない?」
うーん、なんて言おうか。
私は湯船に浮かべたアヒル先輩に心で相談する。
先輩はぽかんと口を開けている。暢気なもんだ。ちょっと突ついたらひっくり返って溺れてるし。おい、何やってんだよしっかりしろよ先輩。

「あのね、わるいもの、いまはここいらへんにいるらしいんだ」
私は左の脇腹を右手で指さす。
「ここ?」 野乃子がアヒル先輩で私の脇をくすぐる。
「あはは、やだ、くすぐったいよ、ののちゃんやめて~」
「ママのわるいもの、どこにいる~?」
アヒル先輩が私をくすぐる。おいやめろや先輩。口開けてんじゃねえ。
私はげらげら笑いながら、そっと野乃子の手を払う。
「くすぐったいってば、ののちゃん」
すると、野乃子は真剣な顔で祈るように呟く。
「ママの、わるいの、とんでけぇ~」
小さく呟く声が湯気と融和し、やがて私の胸の中へすとん、と落ちていく。

私はまた入院しなければならないことを話す。
ごめんね、と謝る私に野乃子は言う。
「ののは、ばあちゃんちであそぶからだいじょうぶだよ、ママ」
ごめんと謝るのは違うのかもしれない。きっと困らせているだけだろう。
でも、健康な母親ならきっとこんな寂しい想いはさせないはずだと思うと、どうしても謝ってしまうのだ。

野乃子を寝かせたあと、私は自分で作った患者専用の掲示板に久しぶりに入ってみた。4回目の手術を決意したことを、心配してくれていた仲間たちに報告しなければならない。

あのあと、掲示板はすっかり寂れてしまっているだろうと危惧していたが、いつの間にかメンバーが1人増えている。
おお、ありがたい。これはちゃんと挨拶をしなければ。
新メンバーは東京都のSさん。39歳の女性、肺に褐色細胞腫が転移しオペをしたばかりらしい。

「初めまして、掲示板管理人の三島と申します。私は来週から入院し、4回目の手術の予定です。数少ない仲間とまた新しく出会えたことを感謝します。ここでは話したくないことは話さなくて大丈夫です。質問があってもすべてに応えなければならないということはないので、お気軽に愚痴やご心配事などご投稿ください」

すぐにレスが付く。
「4回目ですかぁ、私より1回多いですねぇ。私は3回ですけど、3回ともすごい時間かかりましたよ。管理人さんは何時間?  何針縫いました? 私、病院始まって以来の大変なオペだって言われてびっくり仰天しています! 私の先生はこの病気の権威と言われている大先生でーす。三島さんはどんな先生にオペ担してもらいました?」

なんとなく心にザラリ、としたものを感じる。

私が入室しないでいた間の掲示板のやり取りを、ずっと遡って読んでみる。
Sさんは「自分がこの中では一番つらい手術をしている、日本であまりいない病気にかかってしまって本当に自分はなんて不幸なんだと思っている、今まで一生懸命生きてきたのにどうしてこんな目に…」と滔々と語っている。

既にここにいたメンバーの鹿児島のHさんは「執刀医が誰とかあんまり関係ないと思いますけれど」と、ちょっと怒っているような書き込みもしている。愛知のYさんは適当に相槌だけ打っている。
二人が辟易しているのが明らかにわかる。
もしかしてこの人、同病の仲間の中で「張り合う」つもりでいないか?
これはまずいなあ…。 
でも管理人としてはこの殺伐とした雰囲気をなんとかしないといけない。

「Sさん、大変でしたね。手術お疲れさまでした。確かにあまりお仲間を見つけられない病気です。そしてそれぞれ症状も違いますし痛みも人それぞれですね。でもここにこうして集まれたことで、今後ずっとお互いがお互いの心の励みになれたらいいですね。」

…ってこんなオブラートを五重に包んでさらにプチプチ巻きにした上にAmazonのバキバキパッキングしたような言い方じゃぁ、おそらくこの人にはなぁんにも響かないだろうなと思ってたら案の定こう来た。

「三島さん、最高血圧ってどのくらいまで行ったことあります?」

ドッと脱力する。
なんでこうなるねん。ワレ、血圧高いほうが偉いんかい。なんなら言うてみよか? ワイ 220やで220。なんならもうお前はもう死んでる言われたで。目の前に地獄の火柱えっらいでっかく見えたで。

でも、当然そんな地獄絵図を語って聞かせるわけにはいかない。
同病なら誰でも入っていいとして開いた掲示板にどんな人が来ようが、どんな発言をしようが本来自由だ。

でもさあ・・・
褐色細胞腫の悪性患者が日本で何人いると思ってんだよ。
ここにいるの、貴重な貴重な数人だで。
その中で競って何になるの?
だいたいあなたはここに何を求めてやってきたん?
つらいのはみんな同じなんだよ。
ここには亡くなったメンバーだっているの。
あなただけ同情されて当たり前ってことはないの。
病気に甲乙や優劣や上下なんてない。
ましてや痛みや苦しみに差なんてないの。
あなた、まさか「つらいほうが偉い」だなんて
そんな風に思ってやしないでしょうね?
マウント取ったところで、あなたは何か救われるの?
こんなちっぽけな物言いで救われるというのなら、
あなたは相当「寂しい人」よ。
ね、あなた、それ、気付いてる? 
自分の寂しさをわかっててなおかつ隠してるの?
でもね、それバレバレだから。
やめようよもうそんな惨めなこと。

……が。
ここまでドロドロな感情を滾らせながら、ふと立ち止まる。

かく言う私は、そもそもなんでこの掲示板を立ち上げたんだっけ?

こういう掲示板を開いたということは、ここまで「寂しい人」をも包み込むという役割を担うことだ。
果たしてその覚悟をしっかり持って管理人として人を集めたか?

や、違う。
私は確かに自分が救われたくてここを作った。
誰かに痛みをわかってほしかった。応えてほしかった。
それが契機だ。それしかなかった。
なのにそんな勝手な自分が、なんでこんなにあからさまに同病患者を非難できるんだ?
〈支え合う〉とか、おためごかしを言いながら、本当は自分だけが救われるために人を探し人を集め、嬉々としてここを開いたのではないのか?

なぁにが〈国内唯一の褐色細胞腫の掲示板〉だよ。
なぁにが〈ワタシは誰にも心配かけたくない一心で〉だよ。
え、じゃ、同病の人になら心配かけていいってのか?
そんなに「相憐れむ」をしたかったのか私は。

自分の浅はかさと、心に潜んでいたとてつもない傲慢さに気付き、私は呆然とディスプレイを見つめる。しかし、ここで私の中に潜む欺瞞から逃げてはいけない。
今後、この傲岸さをどう手なずけたらいいものだろうか。

〈支え合う〉という言葉の本当の意味をもう一度胸に問い直して、それからここに帰ってこないといけない、と私は強く思う。
でも、この未熟な私に果たして答えなんて出せるのだろうか。

「では行ってきます、4回目のオペ頑張ります。帰ったら報告しますね」
そう一言だけ掲示板に書き残し、私は入院の準備を始めた。


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