羽生結弦『GIFT』鑑賞記 ⑤翼と両腕
【① ② ③ ④】
発車時刻をスマホで調べる。うまいことに15分後に発車するやつがありそうだ。しかし、新幹線乗り場がみつからない。
構内をウロウロしていたら、白ボアブルゾンの団体が6人ほどたむろしているのが見える。中国語が飛び交うのがここまで聞こえる。今日はやたら中国人と会うな。中国には熱狂的ファンが多いのを実証しているなあ。
あ、あそこにもブルゾン着てる人が。あ、あそこにも。あ、あっちにも。
でもなぜかお互いすれ違っても目を合わせない。なんか会場外で見知らぬ人とおんなじ服を着てるって、考えたらちょっと気恥ずかしいもんな。ここは大人の距離を取るべきね。
東京駅にはたくさんのお土産屋さんがあるはずだが、残念なことに閉店してしまっていて何も買えない。 何か買っていきたかった。 悲しい。
まあ、いずれにしろもうあまり時間はない。新幹線乗り場はどこ。ああ、なぜ駅構内で迷うんだ。新幹線乗り場はどこですかとその辺の人に聞いてしまった方が早いのではないか、と後ろを振り向いたらあった。はるか後方に看板が。
私はまた走った。ああ、普段はほぼ車で社会生活をしている身、こういうのは本当に疲れちゃう勘弁して。
新幹線ホームで並んでいたら、後ろにボアブルゾンを着た女性が立つ。
や、ここは大人の距離だなと背中に力を入れる。
「あ~っ!! GIFT組みーつけたっ♪」
不意に肩を叩かれる。わ なんなん。なんなんこの人。赤い眼鏡をかけた、全身結弦グッズだらけの30代くらいの女性。とにかく声が通る。
「いやー、ほんっとよかったですよね~♡ わーい、お姉さんも東北新幹線乗るの? 私も今日ひとりなんですよ~! ね、ね、中で一緒に熱く語り合いませんかあ?」
や、初対面でここまでフレンドリーに接する人に久々に会ったぞ。そうか、今日初めて喋る日本人だな。見知らぬ人と新幹線、まあこれもGIFT効果か。本当はチキンサンドを食べながら一人余韻に浸りたかったんだがなあ…
せめて2人掛けの席が空いていればいいと願ったが、あいにく空いたのは3人掛けだ。私達2人の横に、ビジネスマンが座ってパソコンを広げる。
それからは怒涛の時間だった。新幹線一両中に響き渡る赤眼鏡の彼女の声。 どうやら北京落ちのガチファンらしく、次のノッテステラータにも行くらしい。独身かと思ったら小さい子が3人いるという。
「ねえねえ、お姉さんは羽生くんのプログラムでどれが一番好き?」
む…ここで、彼女と違う意見を言ったら殺されそうだ。ここは話題をそのまま振ろう。
「あなたは何が好きなの」
「断然 ”オペラ座”ね。今日も凄かったでしょう」
ごめん、私ちょっと記憶が曖昧なの。あとで配信観ようと思っているの、とは言えない。
私たちの横に座ったビジネスマンが、迷惑そうな視線を投げる。
ひぃぃぃ。ごめんなさいごめんなさい。でも、私に彼女を止めることはできそうもないわ。
「お姉さん、Twitterとかやってます?」
彼女は自分のアカウントを惜しみなく見せる。 うわ、すごい。羽生色一色やん。『結弦くんに一生を捧げます✨他の誰より素敵なゆづ♡大好き♡』とか書いてあるやん。やば。困った。私のこの節操のなさすぎる浮気性バレバレのTwitterのプロフを見られたらとてもこの場にはいられない。これは絶対隠さなければならぬ。👇
「私、Twitterはいろいろトラブって、今はやめてるの」
「あ、トラブルってあの業界の人たちからの嫌がらせですか?」
…と、いろいろキナ臭い話題になったところで、ようやく私の降りる駅のアナウンスが。私はさっさと降りる準備をする。
彼女は東北まで帰るという。まだ話足りなそうだったが、ガチファンの圧に潰されて、もう私は愛想笑いする力も残っていない。マスクしていて本当に良かった。こんなんなら言葉が通じない中国人のほうがずっと良かったなとひっそりと溜息をつく。
ようやく最寄り駅に着く。赤眼鏡の女性の声がまだ耳の奥でこだましている。すごいな、あそこまで熱狂できるって、ある意味本当に羨ましい。
田舎は駅から駐車場までがまた遠い。てくてくと車まで歩く夜道、私はようやく思う。「ああ、これでひとつ、夢が叶った」と。
私が羽生結弦という人に魅了されたのは、ソチオリンピックの「パリの散歩道」だった。華奢な体から繰り出される繊細でカッコいいスケーティングは、大好きな荒川静香を想起させた。
のちに、ふたりが同じ仙台出身だということを知るが、2人に通暁する独特のしなやかな美しさは、私をどんどん魅了していった。やがて「いつか生で羽生結弦を観たい」という夢を持つようになった。
ルックスやスタイルも素敵だったが、私が何より好きなのは彼の演技そのものだ。彼ほど美しいフォルムのスケーターはほかにいないとずっと思っている。音楽の解釈と天性のリズム感の良さは圧巻だ。
だが、私は正直、彼の誕生日も忘れてしまうしほどのゆるいファン。
全プログラムがどういう構成かを暗記しているわけではない。
彼のグッズを全て買い揃えたのも今回が初めてだし、書籍も買っていない。写真集も2冊ほどしか持っていない。彼の好きなものが何なのかもよく知らない。
さっきの赤眼鏡の女性から見たら、私は緩すぎ甘すぎ、もしかしたら「ファン」だと名乗ることすら許されない程度なんだと思う。
でも、私は今後も彼の美しいスケーティングを愛することは変わらないとは思っているし、それでいいと思っている。
彼女の弾丸トークを受けながら、ふと、我に返った時があった。
そして思い切ってこんな質問をしてみた。
「羽生くんがもし、髭だらけのデブのもっさいオッサンになったとしても、ずっとファンやめませんか?」
すると、彼女は信じがたいというような顔をした。
「羽生くんは、そんなふうにはならないと思いますけど」
彼女は低い声で私に言った。怒ったようにも見える。
でも、私にはわかった。彼女が明らかに動揺していることに。
もしかしたら、今日羽生くんが語っていた言葉は、ここに繋がるのではないか。
「完璧な僕でいるから、ひとりにしないで」
それはなんて切実で、なんて悲しい望みだろう。
帰路、車を走らせながら私は彼の言葉を反芻する。なんだか涙が出てくる。
きっと彼は遥か先、もっともっと遠い未来を憂いているのではないかと。
それはなんと、残酷なことだろう。
山岸凉子の著書に天才バレエダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーの生涯を描いた『牧神の午後』という作品がある。
ニジンスキーは天才的な芸術的才能という「美しくて大きな翼」を持って生まれた。だが、パトロンを失い、人としての些末な営みを自力でやろうとして頓挫、発狂した。美しい翼が生えた天使には決して逞しい腕は生えない。その作品は残酷なその結末をすべて見事に描き切っていた。
羽生結弦というひとは、きっと、美しい翼も、逞しい腕も、両方持っているに違いない、稀有なスケーター、エンターティナーである。
しかし彼がニジンスキーにならないためには、心に強靭な弦(つる)を結び、バラバラにほどけないようにする必要があると私は思う。
どちらも器用に使いこなせている今の彼にはこんな物言いは杞憂だが、私が『GIFT』を鑑賞して感じたのは、翼も腕も両方持っている故の、天才の苦悩だった。
いつか、もし、その翼が捥げてしまったとき、残ったその腕(かいな)で、抱きしめてあげるひとがそばにいてくれますようにと、彼の親よりも年上であろう私は、そんなふうに願わずにいられない。
家に着いてからやっとチキンサンドを口にする。
東京ドームで食べたソイジョイから、実に8時間ぶりに口にしたチキンサンドの味を、私はこの先、生涯忘れない。無事帰ってこられて、本当に良かった。これで明日からまた生きていける。
私は翼も腕もなにもない凡人だ。いやそれどころか、傷だらけで老いた体だ。けど、生きていればこんな夢見心地が味わえるんだ。羽生結弦さん、私にたくさんのGIFTを、本当にありがとう。
-『GIFT』鑑賞記 完結 - 【① ② ③ ④】