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僕の祖母の特別で羨ましいビジネスの話

祖母から50年前のビジネスの話を聞いた。

祖母は編み物教室の先生をしていた。僕は、生まれた時から、その編み物教室に通っている生徒のおばちゃん達に、とても可愛がってもらっていた。

祖母は、編み物を教え、生徒さん達から月謝をもらうことを生業としていた、と僕は思っていた。

しかし、今日、祖母と話をしていると、どうやら、その教室を使ったビジネスでバリバリ稼いでいたことがわかった。

1970年代のはじめに編み物教室を始める

1970年代、日本は1980年代に迎えるバブルに向かって、経済成長を続けていた。平均所得は上がり、裕福な世帯が増えていった。

そんな中、祖母は高校卒業後、手編み機の資格を取り、編み物教室を始めた。祖母はその時、20代前半だった。

当時、ニット製品は大量生産が行われていたそうだが、ブラザー社製の家庭手編み機が普及していたこともあって、手編み機の編み方を教わりたい人がたくさんいた。

「恋人には自分が編んだセーターを着てほしい」

「既製品と少しちがうデザインのニットを着たい」

「特殊な毛糸で編んだセーターを作ってみたい」

このような需要があった。そして、祖母は、教室の先生として、その需要に応えていった。

そして、生徒さんが増えていく中で、祖母は新たなビジネスを始めることになった。

学生服の下に着るセーターの製造を請け負う

ある日、祖母は、毛糸を仕入れている業者さんから「こんなセーターを作ってくれないか?」という相談を受けた。

その業者さんは、毛糸の販売だけでなく、学生服の販売もしていたのだが、制服を買いに来る保護者が、子どもが冬場に学生服の下に着るためのセーターを欲しがっていることに気づいたそうだ。

そこで、業者さんは、祖母に、そのデザインと制作をしてくれないか、と相談した。そして、祖母はそれを請け負うことになった。

これが当たったらしい。

おそらく、保護者の多くは、学生服とセットでそのセーターを買っていったのだろう。発注は増え、需要に供給が追いつかなくなった。

制作に追われた祖母は、編み物が上手な生徒さんに制作を依頼した。要は、祖母が受注生産を受け、生徒さんにセーターの制作を下請けしてもらったのだ。

そして、これが、また当たった。

質の担保とモチベーションアップ

祖母は、編み物教室の先生からプロダクトマネージャーになった。生徒さんにセーターの制作を依頼し、マネージャーとして、セーターの質の管理を行いつつ、生徒の編み物スキルを向上させた。

そして、納品時には、発注主の業者さんから支払われる額の10%を取り分として、残りの90%を生徒さんに支払った。

これは、編み物教室という名を冠した工場制手工業であるのかもしれない。以後、祖母は、オーナー兼プロダクトマネージャーとして働いた。

生徒さんの中には、結構な額を稼ぐ人もいた。そのことを知って、編み物教室に転職する人まで居たそうだ。

しかし、バブル崩壊と共に、この受注生産業務も終焉を迎えた。

残ったのはバイブスの合う仲間だけだった

1990年代、僕が小学生の頃、教室には5〜6人のおばちゃん達が来ていた。お菓子を食べながら、おしゃべりして、編み物をしていた。

おそらく、趣味の編み物をしていて、楽しそうに、ゆっくりと時間を過ごしていた。

僕は放課後、家に帰り着くと、玄関を開け、教室のおばちゃんたちに「ただいま」とあいさつした。みんな「おかえり」と言ってくれた。

時代の流れに上手く乗って、仲間と共に働き、波が無くなった後は、その仲間たちと、ゆっくりと仲良く楽しい時間を過ごしている。

今、祖母と教室の人たちのことを考えると、とても羨ましく思う。

祖母は90歳を過ぎた。教室は数年前に閉めたそうだ。耳が遠くなった祖母は、今、毎日、大音量でテレビを観て過ごしている。たまに会いに行くと、とても嬉しそうなので、また遊びに行こうと思う。


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