ありふれた地方の特別な物語を伝えるために
こんにちは、炭坑夫の寝言のライターをしているタカキです。今日から、ありふれた地方の特別な物語を伝えるため、この炭坑夫の寝言noteを運営していこうと思っています。
炭坑夫の寝言noteでは今後、福岡県にある筑豊地方に関わる人や場所やモノやコトを紹介していきます。ありふれた地方の特別な物語です。
僕は、誰しもに特別な場所があり、特別な物語があると思っています。そして、その特別な物語には、特別な価値があると僕は信じています。
僕らが暮らすありふれた地方の特別な物語が、みなさんが持っている特別な物語へ繋がったらいいな、と思っていますし、それには必ず価値があると信じています。
今回は、この炭坑夫の寝言という活動が始まった経緯について話して行こうと思います。
どんな地方にも特別な物語がある
僕らが育った、そして、今も暮らしている筑豊という地方は、日本にあるありふれた1つの地方に過ぎません。しかし、ありふれていたとしても、その地方に関わる人たちにとっては、特別であるはずだと僕は思ってます。
筑豊地方はかつて炭坑で栄えた地方です。多くの炭坑があり、石炭を掘るため、全国から多くの人がこの地方に集まりました。故郷を離れ、移住し、働く価値のある地方であったのです。
炭坑のことを、炭坑夫たちはヤマと呼びました。「あいつは、もうヤマに入っとうらしいぞ」「最近は、あそこのヤマに行きよう」炭坑で働くことをそんな風に話をしていたそうです。
しかし、国のエネルギー転換で、炭坑はすべて閉山し、多くの人が筑豊を離れました。
そして、今に至ります。
若者はだいたい筑豊を離れる
ありふれた地方では、若者たちは高校卒業後、都会の大学に進学します。そして、大学卒業後、若者たちは、都会に出て就職をします。それが、ありふれた地方の物語です。
僕らは高校卒業後、大学進学のため、筑豊を離れましたが、大学を卒業した2007年の春、筑豊地方にある田川という地域に帰ってきました。僕らはそれぞれの理由で就職をせず、田川でバイトを探しました。
オルタナティブスペースhaco
僕らはよく田川市にあったhacoという場所に集まりました。hacoは第二次世界大戦時に作られた防空壕の跡地を利用したオルタナティブスペースです。
展覧会、ライブ、イベントなど、hacoでは色んなことが行われ、色んな人が集まっていました。ある一つの目的ではなく、それにとって代わる何か。
オルタナティブという言葉にはそういう意味があり、hacoはまさにオルタナティブスペースでした。
考エル時間ガ多スギル
モノが溢れる都会から何もない田川に帰った僕らにとって、田川での暮らしは、考える時間が多すぎました。
僕らはみんな、何かを表現がしたかったのです。
hacoに集まった僕らは、それぞれがやりたい表現について、ずっと話をしていました。僕らが表現したかったのは、アート、音楽、文学、写真、もしくは、それらにとって代わるオルタナティブなことでした。
そこで、それぞれの表現をただ集めたフリーペーパーを作ることが提案されました。そうして、一つのフリーペーパーが生まれ、そのフリーペーパーを作るため、さらに人が集まりました。
筑豊には炭坑が沢山あり、多くの炭坑夫たちが働いていました。
その当時の炭坑夫たちがタイムスリップし、今、この場所に居たとしたら、何するだろうか、と僕らは考えました。ヤマで疲れた炭坑夫たちは、こんなヒマだったら寝るしかないかもしれない。
みんなで、そのフリーペーパーを「炭坑夫の寝言」と名付けました。それが炭坑夫の寝言の始まりです。
そして、それぞれの表現の寄せ集めだったフリーペーパー『炭坑夫の寝言』から、筑豊について独自の視点で紹介するフリーペーパー『ネゴトヤ新聞』へと変わっていきました。
次回からは、フリーペーパーで紹介してきた、人や場所やモノやコトをnote用に再編集して紹介していきます。スキ、フォロー、コメント、応援、超嬉しいです。今後とも、何卒、よろしくお願いします。
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