INFPあれこれ

 MBTIという、自己申告型診断テストによって16の性格類型結果を出すものがあります。皆さまも一度は受けたことがあるかもしれませんが、私は何度やってもINFP-Tと出ます。

 たかだか10分で済む診断テスト。血液型占いと同じで、16の類型に整然と分類できるほど、ひとりひとりの人間は単純に出来てはいませんが、診断結果はその人の、自分自身の「傾向」を知る上で参考になるとは思います。

 それでINFPは、芸術という分野の中でも特に「文章力」が高い、いわゆる「作家タイプ」であるらしいのですが、全性格タイプの中で最も年収が低い傾向にあり、検索エンジンの関連キーワードに「クズ」、「頭おかしい」、「死ぬしかない」などと、何かとネガティブなイメージがつきまとっています。あるサイトでは「INFPを『芸術家』というのは『社会不適合者』をオブラートに包んだ表現」と評されていました。

 そして、INFPには、INFP-AとINFP-Tがあり、前者はストレス耐性が高く、後者はストレス耐性が低いというものらしいです。私の人となりも踏まえた上でINFP-Tを一口に言うと、つまるところ「要領が悪く、神経質で、ちょっとしたことで動揺し、いつまでもクヨクヨする文弱」といったところでしょうか。

 そんなINFPの適職として出てくるのは、第一には「芸術家」、「詩人・小説家」、「哲学者」など、一握りの人だけがそれで生計を立てられる職業ばかり。第二には教育関係で「教師」、「カウンセラー」、「学芸員」などが、第三には「聖職者」等が挙げられていました。

 第一に挙げた「芸術家」だの「詩人・小説家」だの「哲学者」だのというのは、職業として成り立たっておらずとも、私の中ですでに成り立っている「小林和真」その人であって、それが「適職」というよりも「適性」であることは自認しますが、「定職に就く」という意味において「教師」や「聖職者」という進路は、私も考えたことがあり、一時期は、通信制高校卒業後の進路として、私の恩師が卒業された東京基督教大学への入学を考えていました。
 結果、26歳の時分に通信制高校を卒業したあとに、1年とちょっとのあいだ農夫として働きましたが、今になって思えば、東京基督教大学へは進学しなくてよかったと思っています。というのも、その当時の私は、26歳にして正規に働いたことが無い、正式な職歴の無い状態だったので、その境遇で全寮制の東京基督教大学へ入学していたら、INFP特有の「自意識過剰」と「内罰的感情(その「内罰」は、ほとんど自己中心に暴走しすぎた果ての「妄想」に近い時が多い)」に圧し潰されて退学していたと思います。

 時は移ろい昨年、通信制大学である放送大学へ入学し、新しい進路が見えてきました。前にもご報告したと思いますが、その新しい進路とは「学芸員」です。
 なぜINFPに「学芸員」が向いているかというと、持ち前の「知的好奇心」が活かせる、ということで、散々モラトリアムを経た上での、依然としてモラトリアム中のこの進路については、両親も大賛成しており、次期も学芸員になるための必修科目を履修する所存です。

 INFPに関連して、先日はアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』を観ました。『かぐや様は告らせたい』で、白銀圭役を演じた鈴代紗弓さん目当てというのもありましたが、「INFPこそ『ぼっち・ざ・ろっく!』を観るべし」という、とある記事を目にしたからです。

 主人公の後藤ひとりは、ぼっちでコミュ障のINFP(またはISFP)とされており、INFPのよいところ、面白いところ、悪いところ、不愉快なところが誇張されて描かれているように思いました。
 INFPの私としては、後藤ひとりが「つらい、避けたい、きびしい現実」をシャットアウトして、文字通り「ひとりの世界」に没入して、持ち前の広大なイマジネーションを悪いほう悪いほうにばかり膨張させすぎてしまうところなんかは「それって、結局きみが(おれが)思ってるだけなんだよなあ」と、成長した自分自身にもツッコミをいれながら観ていました。

 『ぼっち・ざ・ろっく!』では、もうひとり、魅力的な、おもしろいキャラクターとして、後藤ひとりがバンドメンバーとして出逢うベーシスト、サブカル系オシャレちゃんの山田リョウが挙げられます。山田リョウは後藤ひとり同様友達は少ないですが、後藤ひとりの発言をもとにすれば「ひとりであることに引け目を感じている」ことと「ひとりであることを愉しんでいる」ことには、天変地異が起こるほどの大きな差があり、前者が「後藤ひとり」であるとすると、後者は「山田リョウ」です。

 私は後藤ひとりの時分は引きこもりニート中で、ひとりであること、ぼっちであることに多分な引け目を、劣等感を感じていましたが、紆余曲折を経て知己も得た30歳となったこんにちでは、「後藤ひとり」的な基本的色彩のうちに、歳を経るごとに「山田リョウ」的な色がにじんできているなあと思いました。

 ⋯⋯といっても、「山田リョウ的な人格」のようにひょうひょうと振る舞い、「ひとりであることを愉しむ」ことが多くなったとしても、私の根底にある「後藤ひとり的な人格」がやはりうずいて、結果「それって、結局きみが(おれが)思ってるだけなんだよなあ」という「ひとりワールド」に、勝手に疲れ果てることがままあるのも、INFPの愛おしいところであり、創作の源泉であり、鬱陶しいところでもあるんですけどね⋯⋯。

 

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