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第9回 短歌読書会――穂村弘『短歌という爆弾』小学館文庫.



今回、さらっと終章と後書きをまとめて終わります!

終章 世界を覆す呪文を求めて p.284

ところが十歳を過ぎた頃、私が〈私〉というものを意識するようになったとたん、世界は気味の悪い場所に変わった。

p.284

コト)著者は十歳まではその日暮らしで生きていて、〈自分〉というものに強い意識を向けていなかったけど、何かをきっかけに、〈自分〉という存在は今までやってきたことが今に繋がっていて、それがこの先未来に続いていきやがて死ぬということを認識してしまったということではないか。

  • 「命」というものに対する理解

気味の悪い世界を脱出して別の場所へ行くことができないのなら、なんとかしてこの不気味世界に打ち勝つしかない。

p.288

ひな)現実世界に対して、気味の悪さや恐怖心?(*1)を抱いているが、「命」というものの尊さも同時に理解している(というか、生まれてきてしまった以上この世界でやっていかなきゃいけないという気持ち?)から、ただ解放(死あるいは空想)を願うのではなく、この命でどう生きていくかを考えていこうという決意。

ひな)*1「不気味」というのはどういう感情?恐怖心?

コト)生きていかなくてはならないという世界の共通観念に対しての疑問、気持ち悪さではないか。
ex.自殺者「生きるということはなぜ価値があるのか」
「当たり前」の行為、「自然にする」ということへの疑念

コト)てか十歳でこれを考えているのがすごい。

世界を変えるための呪文を本屋で探そうとしたのはまちがいだった。どこかの誰かが作った呪文を求めたのはまちがいだった。僕は僕だけの、自分専用の呪文を作らなくては駄目だ。

p.292

自分という存在の意味を持たせるためには、自分の言葉で詠まないと自分という存在に意味を持たせることが出来ない。

詠み続けた結果、結局どれが世界を覆すための呪文だったかはわからないが、「詠む」こと自体が世界を覆す行為だった。


あとがき p.295

たわいない思いつき

問題はその思いつきに具体的な力を与える何か、一本のギター、あるいは一台のカメラのような武器がみつからないことなのだ。

p.295

コト)言い換えると、力を与える何かというのはなんでも良くて、穂村さんにとっての短歌が、人によっては音楽であったり写真であったということでは。

たわいない思いつきを五七五七七の音数に当てはめるだけで、それは全く別の何かに変わる。もしも才能があれば、世界を一瞬で覆すことができる。

p.295~296

コト)”もしも才能があれば、”というのはミソな気がする。
ex.努力99%、ひらめき1%

ひな)運動とかもどう頑張っても身体の動かし方が不器用な人がいるし。

コト)言語も、いくら頑張っても外国語を話すことを習得しにくい遺伝子とかもあるらしい。



今回の、穂村弘『短歌という爆弾』の読書会はこれにて終了!


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