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短歌で思い出すこと/人間文化課程

憂鬱な月曜日の20時に投稿される筋肉短歌会のnote。
今週は人間文化課程の連載「勝手に返歌会」です。

まえがき

こんにちは。筋肉短歌会の人間文化課程と申します。
Twitter上で短歌を即詠する筋肉短歌会というスペースをやっています。

普段ならここで、「勝手に返歌会」を行う予定だったのですが、短歌を選んでいる間にどうしても書きたいことができてしまったので、勝手に予定変更です!!

短歌で思い出すこと

現代に恐竜いたら天井に 窓をつけておはよう言おう

筋肉短歌会 第5回「恐竜」より  くりはら作

みなさんも、このnoteを読んでいるということは少なからず何かしらの文字創作を行っていることでしょう。みなさんが創作を始めたきっかけや、本をよく読むようになったきっかけはなんですか?
僕は、東日本大震災がきっかけでした。

小学校四年生の時に震災が発生して、実家が津波で流されました。
3月11日の夜は、両親の安否もわからないまま通っていた小学校の図書室で過ごしました。(両親は無事で翌日12日の昼前に再会しました。)
周りの友達が両親が迎えに来る中で、1人また1人帰っていきます。友達が帰るたびに、だんだん暗くなる窓の外と同期しながら小学四年生の孤独はどんどん深くなっていくのです。
その真っ黒な孤独を埋めるために、僕は図書室の本を手に取りました。
元からある程度本は好きだったので、余震を気にしないふりをしながら、アルミ製のテーブルの下で、椅子を机の代わりにして本を読んで孤独に蓋をしていました。

図書室には天窓がついていました。3月11日は雪降りの日でしたので、テーブルから顔を出して、少しづつ積もっていく雪を見たりしていました。
僕はその時、この短歌のように「ブラキオサウルスがいたらこの窓よりも背が高いのかな。氷河期みたいだな。」と考えていたのを覚えています。

実際に筋肉短歌会でこの短歌が読まれた時には、すごく色々なことを思い出してしまって、なんのコメントもできませんでした。
いつかこの話は、絶対に文章に書き起こしておきたいなと思って今回は連載の場を借りて書かせていただきました。

当時小学四年生で10歳だったのに。気づけば22歳になってしまいました。震災前よりも震災後の人生の方が多くなってしまいました。あの時から多くの本を読み、先人たちに憧れて散文を書くようにまでなりました。

文学作品を読むことも、作ることもその何処かには孤独があるような気がします。目の前の文章と向き合っている時に、人は本当に1人になるのです。

「いい作品を作りたい。もっとこの作品を理解したい。」

どこまでも孤独で果てしない作業で、孤独は暗いですが周りの暗さが気にならないほどの没入を文学作品は与えてくれます。

現代に恐竜いたら天井に 窓をつけておはよう言おう

筋肉短歌会 第5回「恐竜」より  くりはら作

他の誰にもわからなくてもいい。自分だけが知る情景、実景がこの短歌にはありました。
作ってくれて本当にありがとうございます。

これを読んでいる孤独なあなたも、少しでも孤独を忘れていてくれたら幸いです。


🍓いちごつみコーナー🍓
5.恐竜が僕を見下げる天窓に反響していく朝の挨拶/人間文化課程


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