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平田オリザ「下り坂をそろそろと下る」を読んで

一週間があっという間でした。人間は年を取るにつれ時間の体感速度が速くなっているとかなんとか言いますが、まさしくそれを地で行く感じの日々です。同時に加齢と共に、物事の処理速度や集中力の持続といった大切な能力は衰えていることも感じているので、最近は少し自分に優しくなりました。イベント前などは昔はとりつかれたように遅くまで仕事をしていましたが、最近はしんどくなるとさっさと帰ります。「明日できることはまた明日頑張ればいいや」なんて昔の自分なら絶対出てこない言葉だったんですが。

今日は読書に関する話題です。昔やっていたブログでも読書記録みたいなことに挑戦しようとしましたが、そのたびに挫折。読んだらそれで満足してしまって、人に読んだ本の要旨を伝えることにあまり関心が持てませんでした。なのでnoteでも挫折しない程度に思いだしたら書きます。

最近、妻に借りて平田オリザさんの「下り坂をそろそろと下る」を読みました。数年前に新刊コーナーでタイトルを見かけた時は、「(当時流行っていた)地方創生に絡んだ、日本人はこれからはこう生きなければいけない、という後ろ向きな感じの本かな?」と思ってスルーしていました。まったく違う内容でした。平田さんごめんなさい。平田さんが関係を構築している日本国内の地域(小豆島、豊岡、善通寺、女川・双葉)での取組事例を4章にわたってリアルに描いています。それぞれの地域の特色や強み、課題を、当事者に近い立場ながら、少し俯瞰的な視点で描くことで、地方の問題を描く本でありがちな「現場礼賛」「いいところだけ紹介」になっていないところに、平田さんのバランス感覚を感じます。

知識よりもセンスが問われる時代に生きる
その中でも、第三章の香川・善通寺の大学入試改革のところで述べられていた、これから起こりうる(すでに起こり始めている)、地域間格差については、うなづかされました。これまでの知識偏重つめこみ型の受験勉強から、「地頭」のよさを問うような内容に変わっていく流れの大学入試。大学入試だけがすべてではありませんが、この流れに対応できる地域と、そうでない地域とで、大きな地域間格差が生まれ、それがやがて経済格差の固定化や社会の分断にもつながっていくという分析でした。幼いうちから本物やいいものに触れ、考え、センスを磨くことができる環境に日本で最も恵まれているのは、間違いなく東京の子供たちで、それら「文化資本」は20歳くらいまでに蓄積・形成されるそうです。東京一極集中の弊害が叫ばれて久しいですし、私も東京へ行くたびにその混み具合とギスギスした雰囲気に、ドッと疲れがたまります。けれど、同時にヒト・モノ・カネが集中した東京は、多様な文化や芸術に触れる機会に恵まれており、(その機会やそのための資力がある家の)子供たちには最高の環境なんですね。東京以外の地域は、自分たちの地域の持つ文化資源や特色に「付加価値」をつけていき、「文化資本」の格差を埋める努力をしない限り、この先加速度的に人口減少と人口流出が続いていくという、地方に住む人間としては衝撃的な内容でした。

私は富山に住んでいますが、確かにプロの演者によるライブや演劇、トークイベントなどに触れる機会は少ないです。京都に住んでいた時は、京都市内に学生が多いこともあってか、彼らの需要を満たすような小さなライブハウスや劇場、文化施設が多く、それらに触れる機会が多かったんだと、離れてから気がつきました(それでも最近は東京資本の進出による画一化が目立ってきています)。富山に来てから、日常生活に文化的なものが恋しくなり、京都にいた時よりも美術館に行く機会が増えましたが、いつ行っても空いていますし、展示内容も東京など他の地域で行ったプログラムを、持ってきているものも少なくありません。私自身も会社でイベントを企画しますが、集客や宣伝、協賛などにはいつも苦労します。単純にそういう場所やイベントに慣れている人が少ないのかな?と思うこともしばしばです。コンテンツ関係のイベントの場合、他の地域から地方に集客できるという強みもありますが、それはまた別の機会に。

よく「真面目で我慢強い」ことが、富山県はじめ北陸の特色と言われます。実際に接してみても、それは強く感じます。それはこの地域の良さ・特色であると同時に、これからはそれにうまく「センス」を乗っけていくことが必要だと気がつかされる一冊でした。

目標にしていた一時間で書き切れてよかったです(笑)


2012年に、京都から富山県の南砺市城端(なんとしじょうはな)へ移住してきました。地域とコンテンツをつなげて膨らませる事に日々悩みながら取り組んでいます。 Twitter⇒https://twitter.com/PARUS0810