本気の趣味と適職という幻想
今の時代にこそ響く、良い視点だなって思いました。
最近少し「学マス」で遊んだ話題も絡めての記事です。(数行程度)
本気の趣味
対話型生成AIの能力が人間を上回る時代において、「本気の趣味」を持つことは非常に重要だと思います。AIがいくつかの分野で人間を凌駕する中で、個々人が自分自身の情熱や創造性を追い求めることは、自己実現や人生の充実感につながります。そして、これこそがAIに立ち向かえる鍵となるでしょう。
情熱を徹底して傾けられるものが、今まさに求められています。
思い出してみてください。何かに熱中して、気がついたら朝になっていた経験はないでしょうか。例えば、好きな小説や絵をかいていたり、ゲーム🦑をしていたらいつの間にか夜が明けていた、そんなことが一度や二度はあったのではないでしょうか。そうした没頭できる体験こそが、今の時代を生き抜く力になります。
それは、他人から見れば血の滲むような努力だと呆れられるものです。でも、当人にとっては呼吸をするかのごとく、大して苦ではないのです。(あるいは、その苦しみ自体を楽しんでいるのかもしれません。)
自分自身を振り返ると、結局は好きだから続けてきたことが今に繋がっている気がします。そして、その「好き」もたまには嫌いになることもあります。長く続けていればそう感じることもありますが、それでも手放せないのです。
目まぐるしく変わるこの時代において、自分の情熱を、変わらず、ひたすら傾けられるものがあるでしょうか。今こそ、それが具体的に問われている気がします。
以下、この話題に関してo1からのアドバイスを。("←"以降は自分のコメント)
趣味とした方が良いこと
クリエイティブな活動(音楽、絵画、文章執筆など)
理由: これらの活動は創造性を刺激し、自己表現の手段となります。また、達成感や自己肯定感を高める効果があります。←この辺はコンスタントに続けやすいと思います。オススメです。スポーツやフィットネス
理由: 体力の向上や健康維持に役立ち、精神的なリフレッシュも期待できます。チームスポーツであれば、コミュニケーション能力や協調性も養えます。←ゆるい繋がりが動機づけも良いと思います。誰だかわからない国内の方と歩いたり、海外の誰かとポスカ交換できる、ピクミンブルームも良いですよ。学習や研究(語学習得、科学研究、歴史探究など)
理由: 知識の拡大やスキルの習得により、自己成長につながります。新しい視点や洞察を得ることで、人生の質を向上させることができます。←取りやすい資格をとって、それを踏み台にして視野を広げるのもアリだと思います。ボランティア活動やコミュニティ参加
理由: 社会貢献を通じて他者とのつながりを深め、共感力や責任感を育みます。自身の存在意義を再確認する機会にもなります。←この辺はなんとも言えないところだと思います。上記3つやって、余裕があったらで良いと思います。
趣味としない方が良いこと
健康に害を及ぼす活動(過度の飲酒、喫煙、ギャンブルなど)
理由: 一時的な快楽は得られるかもしれませんが、長期的には健康被害や経済的損失、人間関係の悪化を招く可能性があります。←長期的に見ればQOLが下がりますね。違法または倫理的に問題のある活動
理由: 法律違反や社会的非難を受けるリスクがあり、自身や他者に深刻な影響を及ぼす恐れがあります。←こういうのは遠回りな自傷行為です。過度に消耗する競争的な活動(極端な自己鍛錬、過剰な投資など)
理由: バランスを欠いた取り組みは、心身の疲労やストレスの増大につながり、他の重要な生活要素を犠牲にする可能性があります。←そうなんですよねぇ。孤立を深める活動(オンライン依存、社会的交流の欠如など)
理由: 人間関係の希薄化やコミュニケーション能力の低下を招き、精神的な健康にも悪影響を及ぼすことがあります。←学校や会社に行っていれば、強制的に孤立から遠ざかるので、大丈夫でしょう。相対的な孤独はありますが、客観的に孤立はしません。それは強いです。
適職という幻想
大学生だった頃、自分はマクドナルドでアルバイトをしていました。大学1年生から4年生までの間、土日はほとんど全てそこで過ごしていました。今振り返ると、なかなかハードな生活でした。実際、かなり痩せました。
なぜそのアルバイトを選んだのかというと、自分が将来一番選びそうにないものだったからです。面接でもそんなことを言っていました(今思うと失礼ですね)。その理由づけが「篠沢 広」というキャラクターに似ているなぁ、と思いながら最近これを遊んでいました。
正直、自分には合っていなかったと思います。クルールームを出るたびに、そう感じていました。それでも続けられた理由は、自分を追い込むことが好きだったからかもしれません。そこで気づいたのは、「適職は所詮幻想に過ぎない」ということです。適職とは、自分に合う合わないの問題ではなく、むしろ自分がその仕事にどう向き合い、どのように自身の内側につくり上げていくのかが重要なのだと思います。
ところで、最近16パーソナリティ(MBTIの亜種)を試してみたところ、自分の現在の職業は「適職ではない」と診断されました。しかし、今にして思えば、逆に納得できる理由につながります。「だからこそ、今の仕事を選んだのだ」と思ったのです。挑戦し、未知の領域に飛び込むことが好きな自分にとって、必ずしも「適職」である必要はないと感じたのです。
最近、自分自身を追い込むことを少し忘れていた気がします。日常の安定に慣れ、語弊がありますが、普通の人間であるかのように振る舞っていました。しかし、よく考えてみると、新しいことや未知の領域に挑戦し、その中で自分に負荷をかけることが好きなんです。それを偽っていたからこそ、フラストレーションが溜まっていたのかもしれません。
今になって、あの頃の情熱を思い出し、もっと狂気的にやっても良いのではないかと思うようになりました。挑戦し、失敗を恐れず、やってはいけないことなど無いと自分に言い聞かせながら。
まとめ
結局のところ、趣味でも仕事でも、何かに真剣に向き合い、自分を追い込むことができるかどうかが重要です。適職というのは幻想かもしれませんが、自分が情熱を注げるものを見つけ、それに没頭することこそが、真の「適職」なのかもしれません。
余談
ちなみに、自分がアルバイトをしていた店舗では、働いていた期間で店長が4回も変わりました。毎回、そのたびに感じたのは「働きやすさとは上に立つ人次第だな」ということです。同じ業務内容でも、店長によって職場の雰囲気や働きやすさが大きく変わるのです。これは、「適職」以上に職場環境を左右する大きな要素だと痛感しました。広義の意味でセンスがない人の下で働くのは地獄だと感じたこともあります。この職場での経験を通じて、適職以上に「誰と働くか」が重要であることを学んだ瞬間でした。
学マスの話
本当はもっと遊びたいのですが、なかなか時間が確保できずにズルズルと。
おそらく、自分にとってタイプなのは「手毬」です。めんどくさい子は好きです。
他方、「広」もいいですが、本質的に性格のベースが似ている気がします。そんなことを思いながら、ちょっとずつ進めています。
おまけ(見出し画像)
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