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AIが普及した最も遠い未来に、最後まで残る仕事2選

最終的には全て、人間の仕事はAIにより代替可能になると言われていますが、それでも残る仕事があると私は考えています。
その仕事は何なのか、解説および考察する記事となります。

また、その世界におけるエンタメの可能性についても軽く触れます。

結論から言えば、最終的に残る仕事は2つあり、それは「Responsibility Facilitator(責任ファシリテーター)」と「Authorization Artist(認証アーティスト)」です。

これらは既存の仕事の全てがAIにより奪われた後に登場する仕事です。

これらには魅力的な名前を付けましたが、本質的には「謝罪(&責任を持って辞めます)する仕事」と「承認印を押す仕事」となります。

これらの仕事は今の社会に組み込まれています。
それは、このような名前の仕事ではないにしても、誰かがやっている仕事です。
AIにより、選べる仕事が少なくなるに従い、このような儀式が再定義され、正式な仕事となるでしょう。


💼Responsibility Facilitator(責任ファシリテーター)

どれほどAIや自動化が進んでも、最終的な責任を持つのは人間である、という現実は変わりません。そしてAIであっても必ずミスを犯すことでしょう。そんな時に誰が謝罪や責任を取れるのでしょうか。
例えば被害に遭った人が、AIが謝罪したとして納得出来るでしょうか。謝罪や責任を取ることは、倫理的、感情的な側面が深く、AIでは代替不可能な人間特有の行為です。そのために人間は必要とされ続けるでしょう。

💼Authorization Artist(認証アーティスト)

AIが多くの決定を下す未来においても、最終的な承認や確認のプロセスは人間に委ねられるでしょう。ただ、人間よりもAIの方が確実であるため、ただハンコを押すだけで良くなるはずです。(むしろ下手に人間が介在しない方が良いでしょう。)
これは、法的、社会的、倫理的な責任の観点から、重要な意思決定には人間の関与が必要であることを示しています。

これらの仕事が登場する背景としては、人間そのものの再定義や復興運動が考えられますが、一旦イメージしやすいサルトルの存在主義で考えます。

サルトルの存在主義、自由、選択、責任

サルトルの存在主義は、人間の自由とその自由に伴う選択の責任を中心に据えています。彼は「人間は自由の刑に処されている」と表現し、この自由こそが人間の根本的な特質であると主張しました。つまり、人間は常に選択を行い、その結果に対して責任を持つ存在です。

再度繰り返しになりますが、この観点から未来社会を見ると、AIによって多くの職業が自動化される中で、最終的に残る仕事は、「謝罪と責任の仕事」と「承認印を押す仕事」に集約されると考えられます。

1. 謝罪と責任の仕事

サルトルが言うように、人間は自らの選択に責任を持つ必要があります。AIは効率的な決定を下すことはできますが、その決定に伴う倫理的、社会的な責任を負うことはできません。
したがって、不測の事態や間違いが発生した場合、人間が前に出て謝罪し、責任を取る必要があります。これは単なる象徴的な行為ではなく、社会の信頼を維持し、倫理的なバランスを保つために不可欠です。

2. 承認印を押す仕事

同様に、AIが提案する決定や計画に対する最終的な承認は、人間の責任と自由の範疇に属します。どんなに高度なAIも、社会的、文化的、倫理的な文脈を完全に理解し、それに基づいて行動することはできません。
そのため、重要な決定においては人間が最終的な判断を下し、その選択に伴う責任を負う必要があります。

もう少し突き詰めると、個人的には承認印を押す人が、いわば古代で言うところの神官のような役割を担うのでは無いかと考えます。
AIによる神託を解釈し、民衆に広めるのが「Authorization Artist」で、結果問題が起きた際に生け贄となるのが「Responsibility Facilitator」です。それは神官の権威を維持するためです。

最も遠い未来のエンターテインメント:謝罪会見と承認の舞台

AI生成コンテンツの台頭

2024年現在のエンターテインメント業界を見ると、YouTuberやその他のクリエイターたちは、オリジナリティと創造性を追求しています。
しかし、AIの普及により、これらのクリエイティブな職業も変容を迎えます。
AIによって生成されるコンテンツは、人間の創作を遥かに超える面白さとキャッチーさを備えているため、今日のコンテンツ制作の様式は根底から変わることでしょう。

謝罪会見の新たな役割

一方で、AIが苦手とする分野があります。それは「謝罪」です。

AIが意思決定を支配する未来社会では、人間は基本的に過ちを犯すことが少なくなります。しかし、全てが合理的で透明な社会において、人間の本能的な攻撃性やフラストレーションは隠れた状態で渦巻くでしょう。
このような感情を公に表現することが実質的にタブーとされる社会なるかもしれません。そうしたときに、謝罪会見は一つの特別な転機を迎えます。

謝罪と承認のエンターテインメント化

この時代のYouTubeや他のプラットフォームでは、コンテンツは二つの主要なカテゴリーに分かれるでしょう。
一つはAIによって生成された完璧なエンターテインメント、もう一つは人間が行う「謝罪」です。多くの人間クリエイターは、スーツを着こなし(あるいは似合わない姿で)、上手な謝罪の方法を競い合うことになるでしょう。
謝罪のスタイル、言葉遣い、表現の仕方が視聴者の注目を集め、新たなエンターテインメントとしての地位を築きます。

また、これについてさながら承認印を押すかのごとく、視聴者がリアクションします。未来のリアクションは今あるコメントやスタンプを超えた、より直感的で感情的なエモーショナルなものとなるでしょう。

社会的受容とエンターテインメントの未来

このような謝罪や承認のエンターテインメントは、一部では野蛮と見なされるかもしれませんが、社会的なストレスのはけ口として機能します。
有名人のゴシップを追う行為よりも健全と見なされ、新たな社会的な受容を得る可能性があります。

まとめと余談

AIの普及がもたらす未来社会についての極論を展開してきましたが、実際には、今日の社会とそう大きく変わらないことでしょう。
AIによる変革は、産業革命や技術革命と同じく劇的に見えますが、人間の基本的な行動やコミュニケーションのパターンは変わらない可能性があります。

たとえば、コミュニケーションの進化を見てみましょう。
顔文字からAA(アスキーアート)、絵文字、スタンプへと変化してきたように、表現方法は進化し続けますが、その本質は変わりません。
感情の表現や共有という基本的なニーズは、どの時代にも共通しています。未来では、スマートフォンや他のデバイスに感情をフィードバックする機能が搭載されるかもしれませんが、この機能も、基本的な人間のコミュニケーションの欲求を満たすための進化の一環です。

さらに、伊藤計劃の「ハーモニー」に見られるようなメタ言語を使った感情の記録といった新たなコミュニケーション形式も、人間が情報を共有し、相互理解を深めるための手段として発展するでしょう。
これは、現代のソーシャルメディアやオンラインコミュニケーションが持つ機能の自然な拡張と見ることができます。

最終的には、AIの時代も人間の基本的な特性やニーズは変わらないという見解を支持します。テクノロジーは進化し、社会は変容しますが、人間の感情表現、コミュニケーションの欲求、そして社会的相互作用の基本的な形は、過去から未来へと連続しているのです。

この連続性の中で、新しい職業や創造的な役割が登場するでしょう。
例えば、この記事の主題である「謝罪と責任の仕事」と「承認印を押す仕事」のように、AIには代替できない人間特有の職業が生まれることが予想されます。
これらは新しい時代の新しいニーズに応えるものであり、それによって形成される社会は、今日の社会とそう大きく変わらないものとなるでしょう。

AIの普及がもたらす未来は、革新的な変化とともに、人間の根本的な特性や価値の維持という、時間を超えた連続性を示しています。
私たちは、新たな時代においても、過去の教訓と現代の知恵を活かしながら、未来を形作っていくことが求められています。

おまけ(やりとり全量)

ハーモニーの若干のネタバレあるので注意。

おまけ(見出し画像)

  DALL-E 3で作ったものをPhotoshopでちょっと修正


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