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2024年版のドクター・フー視聴感想

神は訪れる前に前触れで警告する

このセリフは、作中でドクターが発するものです。言い換えれば、これはメタ的な伏線でもあります。突然現れる存在ではなく、物語の中で徐々に暗示される形で示されているのです。

この記事では、現在Disney+で公開されている2024年版ドクター・フーを視聴した感想を簡単にまとめています。直接的なネタバレはありませんが、未視聴の方にはあまりお勧めしない記事です。また、記憶違い、解釈違いから誤った考察をしている可能性もあります。ご了承ください。


ドクター・フーとは

ドクター・フーは、1963年にイギリスBBCが制作を開始した長寿SF冒険ドラマシリーズです。主人公の「ドクター」は、タイムロードという種族の宇宙人で、TARDIS(ターディス)と呼ばれる時間と空間を旅する宇宙船(タイムマシンのようなもの)で冒険します。ドクターには再生できる特異な能力があり、致命的な傷を負った際に姿や性別を変えて生まれ変わることができるため、複数の俳優(男女問わず)がドクター役を演じてきました。

多くの日本人にとって馴染み深いのは、2006年からNHKで放送されたシリーズではないでしょうか。当時リアルタイムで観て、とてもハマった覚えがあります。

上記のシリーズは現在、Amazonで字幕版の視聴が可能です。(以下、アソシエイトリンクです。)

ドクター・フーの日本での視聴は権利関係が複雑で、視聴可能なエピソードやシリーズはプラットフォームによって異なります。

最新作はDisney+限定なので、どうしても観たい場合はDisney社にお布施が必要です。なお余談ですが、Disney+に過去一度でも契約したことがある人は、今後Disney社に訴訟を起こせない、とされる報道がありますが、日本ではおそらく無効です。(日本で以降Disney社に提起された訴訟はないので、予想ですが。)

作品の感想

全体的に脚本のクオリティが非常に高く、驚かされました。特にスペシャルエピソードは、最近のトレンドをうまく取り入れながらも、それが作品のテーマとしっかり結びついており、破綻なくスムーズに楽しめました。

最大の伏線は開始前の「Disney+」のロゴ

つまり、このロゴが今後のドクター・フーの物語の行く末を暗示しています。
「神(Disney)は訪れる前に前触れで警告する」
——近年のディズニー作品が(良くも悪くも)多くの影響を与えているのと同様に、ドクター・フーもその例外ではありません。

ただ、無理やり取り入れたような雑なポリティカル・コレクトネスではなく、脚本の中でしっかりと考えられている印象を受けました。(脚本家が本当に凄い)

そもそも、ドクターは設定上、男にも女にもなり得るので、黒人のクィアになっても、設定が破綻していない、と言えるのは大きいと思います。ちなみに、演技力もあり見ていて違和感とか不快感は全くありませんでした。純粋にそういう作品としてトータルで楽しめました。

昨今よくある同窓会

シャイニングもそうですし、ターミネーターもそうですし、マトリクスもそうですし、昨今同窓会的な作品が多く見られます。多くは中身がなく、老いたメンバーがリッチな学芸会をやるだけの地獄のようなものです。

本作も例に漏れず、かつてコンパニオンを務めた女性であったり、かつて倒したはずの敵キャラも登場します。しかし、日本で公開されているものは限定的で、よほどのファンでない限り「誰だよ」に終始することでしょう。

しかしながら、あくまで主人公をとりまく人々がそうであるだけで、これまでのシリーズの地続きとしての出演とも解釈できますし、その点説明もありますし、違和感は無かったです。

特に出来がいい回

「73yard」のエピソードは非常に完成度が高く、これぞまさにSF(The SF)という感じでした。特に、この回は物語全体の根幹に関わる重要な要素を扱っています。

しかし、シナリオ上ドクターが序盤にちょっと、後半にちょっとしか出てきません。ドクター・フーというより、これ単体で独立したSFとも見ることができます。

この回ですが、他の回よりも比較的難解になっており、主人公の一人であるルビーに降りかかる(あえて)受難がテーマになっている気がします。言い換えれば不条理系です。

あらすじを掻い摘むと、現代のウェールズの海岸に降り立ったドクターとルビーですが、ひょんなことでドクターが完全に姿を消してしまいます。それと同じく、73ヤード離れたところに不審な人影が現れ始めます。
この人影は、ルビーから一定の距離、73ヤードを維持し続けます。そのためルビー自身は接触できず、誰かに確認してほしいとお願いすることになります。しかし、一様にそれに接触した人々は怯え、二度とルビーと会いたくないと強い感情を持つようになります。そうして孤立していくが——という流れです。

オチが微妙?

このシリーズを通して大きな謎となっているのが、ルビーの母親の存在です。ルビーの母親に迫ろうとすると、雪が降り出したり、超常現象が発生します。また、UNITといったポンコツエリート集団でも探し出せなかったり、宇宙人の科学力を使った監視カメラの映像(改変)にもはっきりと映らないという奇妙な存在です。

しかしながら、オチとしては非常に肩透かしなものになっています。最終的には「愛があったから見えなかった」という結末です。探そうと思えば探せたわ、というエンドです。このオチは、愛がなければ見えない、だったか「うみねこの鳴く頃に」を思い出しました。

ただ、単に説明不足だと思っています。一応ルビー自身が人間であることは、ドクターがスキャンした結果から明示的に分かっていました。それにしても、超常現象然り、明かされていないものが結構ある印象です。

この辺については続編が2025年に公開されるそうなので、そこで詳細に明かされることになるでしょう。しかし、前半は比較的丁寧なのに、後半があまりにも投げっぱなしなのは惜しいですね。いろいろ理由はあるのでしょうけれど、勿体無い印象です。

まとめ

2024年版のこのドクター・フーは、伝統的なSFの魅力と現代的なテーマを巧みに融合させた作品でした。特に「73yard」のエピソードは、不条理なSFの傑作と言えるでしょう。また、各回45分から1時間という視聴しやすい長さで、幅広い年齢層にアピールできる構成となっています。

ディズニーが絡んできた影響や宗教的シンボリズムなど、深い考察の余地を残しつつも、エンターテイメントとしての質は高く保たれています。ただし、ルビーの母親を巡る謎やルビー自身の謎など、説明不足の部分も残されており、2025年公開予定の続編への期待が高まります。

クオリティにやや揺らぎはあるものの、全体として上質なSF作品であり、ドクター・フーファンはもちろん、SF愛好家にもおすすめできる内容です。次のシリーズでどのように物語が展開していくのか、今から待ち遠しいですね!


自分が予想していた考察・解釈など

以下、自分が見ながら妄想していたオチや解釈などです。メモ的に。

ルビー=キリスト?

ルビーが捨てられたのはクリスマスの夜です。クリスマスはいわば、神が私たちと一緒にいるために、人の姿で地上に生まれてくださったことを喜ぶものです。イングランド国教会も例外ではないでしょう。

メタ的ですが、意味のない設定は脚本には入れないものなので、やはりキリスト系の何らかのメタファーは絡んでいるものと思います。もっとも、最後の敵もエジプト神話に基づいたデザインなので、あまりこだわりは無い可能性もあります。しかし、これは過去登場したキャラクターのリブートであり、ドクター自身も作中でメタ的に「文化の盗用」とも言っているので、キリスト的なシンボルは「何となく」ではないと思っています。

最終回に出会えた母親はデウス・エクス・マキナによって作られた存在?

最後は実の母親にも会えたハッピーエンドですが、いくつか気になる点があり、やはり、普通に暮らしている人にも関わらず、データベースに引っかからなかったり、後半登場した時間をも超越する神にも検知できなかったのは、やはり不自然です。

ほか、ドクターが直接会おうともしないのも引っかかりました。ただこれはドクターが孤児であるという設定から、自身がルビーを重ねていたイメージと合わなくなるため、拒んでいた可能性もありますが、それにしても不自然な気はしました。

そもそもこの世界は一度滅んだ後に、いわば再構築された世界です。その際にルビーが持つ能力から、生み出された母親なのではないかと思いました。つまり、ルビーが教会前に置かれたタイムラインとは、また異なった世界になったのではないかと思います。

ルビーの母親はルビー自身?ドクター?

母親が指を刺すシーンから、それはドクターを指しているのかと考えていました。ドクターの娘というキーワードも作中ありましたが、そこから何らか血のつながりがある存在なのではと考えていました。

円環をなす、ウロボロス的なつながりがそこにあったら面白いかと思いますが、この辺の伏線は無さそうなので、そうも複雑ではないのかとも思います。

おまけ

DALL-E 3作。
ChatGPT-4o経由ですが、直接ドクター・フー的なというと、生成できませんでした。
前よりもルールに厳格になった気がします。

端的に、ドクター・フーも昨今の、特にディズニー社の趣味にやられていますが、ヒロインとしてのコンパニオンが、「女性でありかつ、ブロンドヘアである」というのが一貫しているのは面白く感じました。守るべき伝統ですね。

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