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高校時代から谷崎潤一郎が好きで、短大入試に『細雪』が出題されたことに狂喜し、谷崎研究を…

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高校時代から谷崎潤一郎が好きで、短大入試に『細雪』が出題されたことに狂喜し、谷崎研究を始めました。その後一時遠藤周作に浮気しましたが、新卒で入った会社の近くに神田の古書店街があったことからいい本に出会うことができ、今に続いています。ここではそれらの情報をまとめたいと思っています。

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  • 谷崎について詳しくなる本

    Facebookで「谷崎潤一郎研究のつぶやき」というページを作っていますが、ここでは谷崎作品や谷崎周辺について調べるうえで参考になる本についてまとめたいと思います。

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高木治江著『谷崎家の思い出』

出会い私が高木治江著『谷崎家の思い出』に出会ったのは、私が出版社に勤めていた頃。会社の帰りに寄った古書店でした。この時期に出会った本が、その後を決めたと言ってもいいかもしれません。谷崎を研究するならまず最初に読みたい本です。 ※2022-09-03 本へのリンクを外に出しました。 歴代の妻が登場この本は、谷崎の2番目の妻になった丁未子さんのお友達だった著者が、病による死を前にして、当時のことを思い出して書かれたものです。谷崎の最初の妻千代夫人から、3番目の妻松子夫人まで岡

    • 小栗風葉著『深川女房』

      石川悌二著『近代作家の基礎的研究』が終わったところで、今回は短い作品をご紹介したいと思います。青空文庫にもある小栗風葉著『深川女房』です。 小栗風葉とは小栗風葉は、尾崎紅葉門人で硯友社に参加していた作家です。その立場は泉鏡花と谷崎のところで引用した に現れています。入門時期は鏡花が明治24年に対して風葉が明治25年と1年遅く、作品も鏡花の『外科室』が明治28年に対して風葉の『寝白粉』が明治29年なのですが、港区ゆかりの人物データベースを見ると次のように書かれています。

      • 石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(9)―谷崎潤一郎の生い立ち(その2) 幼稚園、塾、小学校と恩師

        この本の中には『幼少時代』に登場する二人の恩師についてはもちろん、小岸幼稚園や塾についての資料も掲載されています。それらについて少し触れて、長くつづいたこの本の紹介を終わりたいと思います。 小岸幼稚園小岸幼稚園は京橋区霊岸島浜町十八番地の私立小岸小学校の府属幼稚園でした。明治22年の幼稚園科設置願によれば、名称は「小岸小学校附属幼稚室」とす、とあり、保育科は幼稚一名に付一か月金四十銭で、科目としては、「球の遊ビ、三ツノ体チ、木ノ積立、板排ヘ、箸排ヘ、鐶排ヘ、描キ方、紙刺シ、

        • 石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(8)―谷崎潤一郎の生い立ち(その1) 戸籍毀損事件

          谷崎の叔父による戸籍毀損事件 この本では、最後に谷崎潤一郎の生い立ちとして谷崎の死後に発表したものが掲載されています。その一番最初に登場するのが叔父長谷川清三郎による蠣殻町谷崎久右衛門家の戸籍毀損事件の顛末です。 叔父が谷崎家の戸籍閲覧した際に、「清三郎」と記すべき署名を「三郎」と書いているように見え、父である初代久右衛門の印鑑の部分を閲覧の際に誤って破いてしまったとされる事件です。 谷崎の『幼少時代』でも養子に出された叔父たちの不満とともにこの事件についてさらっと触れられて

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        高木治江著『谷崎家の思い出』

        • 小栗風葉著『深川女房』

        • 石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(9)―谷崎潤一郎の生い立ち(その2) 幼稚園、塾、小学校と恩師

        • 石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(8)―谷崎潤一郎の生い立ち(その1) 戸籍毀損事件

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        • 谷崎について詳しくなる本
          17本

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          石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(7)―樋口一葉と谷崎周辺(その3) 稲葉の風

          この本には『一葉日記』から「稲葉ノ風」と題する一首が引用されていますが、ここに至るまでの経緯もこの本に記されています。 一葉の両親樋口一葉の父母が山梨の故郷を駆け落ちして江戸に上ったのは安政四年四月六日で、母はすでに妊娠していました。江戸へ着いて過ごすうちに月満ちて女子(ふじ)を生みましたが、この子を里子に出して湯島三丁目の稲葉大膳正方という旗本の家に乳母奉公をすることになり、以後数年間仕えました。 一葉の母が乳を上げた赤ちゃんは、おこう(鑛)という名の女の子で、養女でし

          石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(7)―樋口一葉と谷崎周辺(その3) 稲葉の風

          石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(6)―樋口一葉と谷崎周辺(その2) 中島歌子

          今回は、中島歌子について書いてみたいと思います。前回の和田重雄と併せて『春琴抄』との関連が見えてきます。 和田重雄が病床から樋口則義となつ宛に出した手紙が引用されており、その最後は、 和田重雄拝 樋口様 お夏様 となっています。 和田重雄から中島歌子へ和田重雄から中島歌子への流れについて、一葉日記から次のような引用があります。 「我が歌子と呼ぶは下田の事ならず、中島とて家は小石川なり、和歌は景樹がおもかげをしたひ、書は千蔭が流れをくめり、おなじ歌子といふめれど、下田は小川

          石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(6)―樋口一葉と谷崎周辺(その2) 中島歌子

          石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(5)―樋口一葉と谷崎周辺(その1) 和田重雄

          樋口一葉に割かれているページは他の作家に比較してかなり多く、注目すべきところが多いので何回かに分けたいと思います。 今回はその第1回として、一葉に歌を教えた人物として「一葉の教育 和田重雄と中島歌子」と題したいところだったのですが、和田重雄で思わぬ長さになってしまったため、とりあえず今回は和田重雄について、まだ推測の域を出ないながら書いてみます。 この本には、一葉の教育については小学校の頃からかなり細かく記載されていますが、そこに登場する人脈には小中村清矩や谷崎家周辺と通じ

          石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(5)―樋口一葉と谷崎周辺(その1) 和田重雄

          石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(4)―泉鏡花と谷崎

          『文壇昔ばなし』での鏡花と谷崎谷崎と鏡花といえば、鳥鍋のエピソード。『文壇昔ばなし』に登場します。検索してみたら、ちょうどその個所のラジオドラマがYoutubeにアップされていたので、聴いてみてください。 ドラマ化のためにエピソードがつなげられているところもありますので、詳しくはぜひ『文壇昔ばなし』もお読みいただければと思います。 尾崎紅葉と谷崎のところで書いた、尾崎紅葉がもう少し長く生きていれば、谷崎は紅葉門下になっていたというのは、別の何かでも読んだ記憶があるのですが

          石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(4)―泉鏡花と谷崎

          石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(3)―尾崎紅葉と谷崎

          紅葉がもう少し長く生きていれば今回は尾崎紅葉について書きたいと思います。 何かの本で読んだ記憶があるのですが、紅葉がもう少し長く生きていれば、谷崎は間違いなく硯友社に入っただろうと書かれていました。今回それを確認しようとしたのですが、どうにも見つからず、このように時間が開いてしまいました。この出典は見つけ次第追加します。申し訳ありません。 紅葉は35歳の若さで癌で亡くなってしまい、その時谷崎はまだ9歳でした。 (35歳といえば、芥川もそうでしたね。) 谷崎が硯友社に入った

          石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(3)―尾崎紅葉と谷崎

          石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(2)―夏目漱石と谷崎

          漱石と谷崎2回目は、夏目漱石について書いてみたいと思います。森岡卓司著『「「門」を評す」と谷崎文学の理念的形成 ―谷崎潤一郎と夏目漱石(一)―』にも書かれているように、谷崎は生涯漱石を意識していました。漱石評も遠慮がありません。谷崎が他の作家についてこういう強さで書いているものを私は知りません。その割には直接の交流が見当たりません。これはいかにも不自然ですし、小中村清矩に繋がる父の長兄を隠したような事情があるのではと疑いたくなります。 森岡先生が書かれているように、谷崎は『

          石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(2)―夏目漱石と谷崎

          石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(1)―森鷗外と谷崎

          『幼少時代』との答え合わせができる本石川悌二著『近代作家の基礎的研究』は、著者が東京公文書館に勤務しながら、膨大な資料の中から近代作家の足跡をたどり、資料と共に発表したものです。ここに取り上げられる近代作家(森鷗外・夏目漱石・尾崎紅葉・泉鏡花・樋口一葉・谷崎潤一郎)には大きな共通点があり、私などはそこに何らかの意図を想像したりしてしまうのですが、この本を読むにあたっては、谷崎についての『幼少時代』の記述との違いのチェックから始めました。 『幼少時代』についてはかねてから随筆

          石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(1)―森鷗外と谷崎

          『小中村清矩日記』(2)

          庄七叔父と父倉五郎と祖父久右衛門(1)で庄七叔父や久兵衛伯父等についていろいろ書きましたが、ここで庄七叔父について重要な情報を得ました。千葉俊二先生の「谷崎家の先祖はほんとうに近江から来たのか」という論文(Googleで検索すればPDFも見つかります)で、庄七という名前は慈眼寺の過去帳から、常陸屋庄七→釜屋庄七という人物から受け継がれたと思われるということが書かれています。一方久右衛門は富島町の酒ヤ粂吉の子であることは石川悌二著『近代作家の基礎的研究』に書かれています。千葉先

          『小中村清矩日記』(2)

          『小中村清矩日記』(1)

          今回は、これまでにもたびたび登場している『小中村清矩日記』について書いてみたいと思います。今回も内容の都合により2回に分けたいと思います。 江戸・東京で活躍した国学者小中村清矩は谷崎の父の長兄の岳父で、「江戸時代後期から明治時代にかけて江戸・東京で活躍した国学者で、律令から日本史、古典文学、古典籍、有職故実など多岐に渉る分野について、文献に基づいて研究を進めた」(『小中村清矩日記』解説より)人です。東京大学に古典講習科を作る際に招聘され、第一期生には池邊義象(後に小中村清矩

          『小中村清矩日記』(1)

          『葵の女―川田順自敍傳』(2)

          川田順に注目したきっかけ谷崎作品と川田順との関係について興味を持ち始めたきっかけは『夢の浮橋』でした。昭和22年の昭和天皇との会見メンバーが、ことごとく徳冨蘆花著『不如帰』のモデル群と繋がったことや、『夢の浮橋』完成直前に谷崎に贈られ、読んだと思われる『葵の女―川田順自叙伝』について、谷崎自身が『当世鹿もどき』で触れていることから、この「葵の女」について興味を持ったことも大きかったのです。 下記のPDFは、2013年3月に谷崎研究会で発表した時に作ったものに加筆した関係図です

          『葵の女―川田順自敍傳』(2)

          『葵の女―川田順自敍傳』(1)

          今回は、川田順著『葵の女―川田順自敍傳』を取り上げたいと思いますが、内容の都合上、2回に分割して書いていきたいと思います。 ※2022-09-03 本へのリンクを外に出しました。 図書館送信対応になりましたね。国会図書館に登録してログインし、デジタル資料のサムネイルをクリックすれば、お手元のパソコンで読むことができます。 葵の女とは葵の女とは、徳川慶喜の娘で、高崎藩最後の藩主大河内輝声の長男である大河内輝耕に嫁いだ女性です。幼少時から後の大正天皇妃候補になっていましたが、

          『葵の女―川田順自敍傳』(1)

          伊吹和子著『われよりほかに――谷崎潤一郎最後の十二年』

          今回は、伊吹和子著『われよりほかに――谷崎潤一郎最後の十二年』(書籍だけでなく、録音資料もありますね。国会図書館には視覚障害者用に登録されたデジタル資料もあります。)を取り上げます。 2022-09-03 本へのリンクを外に出しました。 「われよりほかに」とはタイトルは、『雪後庵夜話』に書かれた、 という谷崎の歌から取られています。 ※2022-09-03 本へのリンクを外に出しました。 著者が突如クビを言い渡されたときに、中央公論社の嶋中社長が と言われてその通

          伊吹和子著『われよりほかに――谷崎潤一郎最後の十二年』