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雨と傘

普通の日記です。
特別な出来事は何もないけど、
強雨に降られて考えた事。


ここ最近、毎週歯医者に通っていて、だいぶ面倒な治療をしてもらっている。
もともと歯医者がものすごく苦手で、長いこと通っていなかったうえに、歯磨きが下手くそなのが祟って、だいぶひどい虫歯を2本も作ってしまった自分の愚かさを悔い、申し訳なく思いながら、通っている。先生は優しいけれど、私は毎回懺悔しているような気持ちで歯科用椅子に座っている。本当です。許して下さい。

しかし、長い時間口を開けて、歯の根っこを穿るような施術を受けていると、懺悔と苦行と思っていても、実際は修行僧でもなんでもないので痛みも感じるし疲れる。

そんな苦行を終えた後は散歩をすることにしている。
その道中、少し離れたところにあるセリアまで歩いて行き、大好きなゴールデンカムイのステッカーを買うのを日課にしている。ちょっとしたご褒美だ。歯医者に通う羽目になったのは自分のせいだが…と、ここでうっすらと罪悪感をおぼえる、いや気のせいだ。

今日はステッカーが売り切れていた。悲しい。
そもそも日課にしていると言ったものの、だいたい売り切れているのでまだ一度しか買えていない。

気を取り直して、近場の運動公園まで歩こうと思い立つ。空を見上げると暗雲が立ち込めていた。
そういえば、歯医者の待合室で流れていたワイドショーが、夕方に強雨…と言っていたなあと思い出して、少しだけ歩いて帰ることにする。

ぽつぽつと雨が降りはじめる。
早めに折りたたみ傘をさしたが、強めの風が吹いた瞬間に、傘の骨が折れた。嫌な予感がした。

だんだんと雨足が強くなる。手に負えない事になりそうだと身構えていると、案の定あっという間にバケツをひっくり返したような雨になる。
こんな壊れた折りたたみ傘では太刀打ちできない。


「止まない雨はない」より先にその傘をくれよ


米津玄師 / KICK BACKの好きなフレーズのひとつが思い浮かんだ。
好きなフレーズというか、すごくよく分かる。悲しい現実だよなあと思う一節だった。

自分の苦しみって自分にしか分からないし、自分だって他人の苦しみって分かんないよなっていうのをひしひしと感じる。
苦しい時、誰かに相談してもその相手は安全圏から無難な事を言ってきてるように感じてしまう。あんたはこの苦しみを味わってない、私の気持ちを分からないからそんなこと言えるんだ…って、思ってしまうような。

おんなじ気持ちになる事なんて、味わっている苦痛と同じ味を知るなんて絶対にできないのに、どうして他人に期待をしてしまうんだろうとも思う。自分と他人の境界線を曖昧にしてはいけない。人間は感覚を完全に共有したり融合したりできない。これは自戒です。

でも、なんでもいいから助けてほしいって思ってしまうんだ、苦しすぎる時。

今、自分の人生がほんとにものすごく苦しい。強雨状態だ。だからこんな身勝手な事を思ってしまう瞬間が何度もある。こういう事も何度も考えている。


でも今日は、「その傘」を貰っても意味ない時もあるよな…っていう新しい気づきがあった。
実際、一応は傘をさして歩いてるのに、もうバカみたいに雨降ってるから意味ない!
全然びしょびしょなんだよ!ってなったから。

傘さしても意味ない、ズボンもシャツもびしょ濡れ、靴なんか、川の中歩いてるのと同じ。かろうじて頭が少し守れる程度。

人生が強雨状態になって傘とか意味ねえーってなる事だってあるよなー。ある。
っていうか強雨で辛い時って申し訳程度の傘とか意味ないかも。

ちょっとは雨足が弱くなるのを期待して、コンビニに入ったりもしたけど、それも意味なさそうだなって思って、歩いて帰る事にしたし。
歩きながら、もういっそ傘さすのやめよっかなーとか思ったりもした。
そういう事もある。

私は今、雨っていうか川の中、濁流の中を歩いてるんだ…と思いながら歩き続けていたら、近所の中学生たちが、傘もささずに、というかあえてさしていない状態で、走り回りながら遊んでいた。
水たまりを足で蹴り、水飛沫をあげて大喜びしていた。
ものすごく楽しそうだった。

強雨の中でも大はしゃぎで遊びたいなー。
遊んじゃおっかな。

おわり

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