見出し画像

「水俣曼荼羅は大快挙を成し遂げた可能性大」



Facebook及び Instagramからの転載。

また「水俣曼荼羅」の話ですみません。そろそろ別の映画の話をします。

「水俣曼荼羅」はキネマ旬報ベスト・テンで5位。既に報道されていた通り、文化映画部門では1位。採点表を見ると、文化映画部門ではぶっちぎり。

キネマ旬報をよく知らない人に説明すると、キネマ旬報ベスト・テンには「文化映画」という別のベスト・テンがあります。

ベスト・テンと文化映画ベスト・テン、両方で入った映画は、長い長いキネマ旬報の歴史で、「水俣曼荼羅」が史上初なのでは?

我が家には、戦後のキネマ旬報ベスト・テンが全部載っている本があります。だけど、残念ながら文化映画ベスト・テンがそれには載ってません。

ただ、その本を読んでもそれ以降のキネマ旬報ベストテン号を読んでも、そもそもドキュメンタリーで、文化映画部門じゃないほうのベストテンに入った映画が、同じ原一男監督の「全身小説家」以降は、他に1作品しか見当たらない。

で、その1作品というのが、その年の文化映画部門のベストテンには入っていない。

だから、両方でベストテンに入ったのが、「水俣曼荼羅」だけな気がする。

それで、ヨコハマ映画祭の審査員をやってらっしゃる方に聞いてみた。この人は割と年輩で、学生時代からキネマ旬報ベストテン号を全部保管してるという。

この人が言うには、やはり「両方で」ベストテンに入ったのは「水俣曼荼羅」がたぶん初らしい。

私が産まれる遥か昔の話ですが、昔は文化映画部門というのは「上映時間がほぼ30分から50分程度の教育・研究的記録映画又はアニメーション」という暗黙のルールがあったらしく、50年代くらいまではそれらは「短編映画」と呼ばれてたらしい。「文化映画」と呼ばれ始めたのは60年代以降だということだ。

この話は伝聞に過ぎないから、確たる話は知り合いのキネマ旬報編集部の人に聞くことはできる。

もし「史上初」ならば、「史上初」と誌面に書いてほしかったなあ。

なお、キネマ旬報選考者は元々劇映画志向が強いようで、ドキュメンタリーで、文化映画じゃないほうのベストテンで一位になった監督は、戦後は新藤兼人と原一男の2人しかいない。

原一男監督は、文化映画部門じゃないほうのベストテンで「ゆきゆきて、神軍」で二位。「全身小説家」で一位。「水俣曼荼羅」で五位。こんなドキュメンタリー監督は他にいない。もう「巨匠」と呼んで差し支えないだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?