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先日、夜中に目が覚めて、薄明るい天井をぼんやりと眺めていると、『菜食主義者』(ハン・ガン )のヨンへのことが不意に浮かび、読んでいるときにはわからなかった彼女のことが突然真に迫ってきた。
ヨンへはある恐ろしい夢を見てから、肉を食べることを拒否し始め、自分はいずれ植物になるという妄想にとりつかれていく女性だ。『菜食主義者』は彼女の周囲の人々の視点で描かれており、ヨンへがこれまで抱えてきた苦悩や夢の内容は断片的にしか示されていない。ヨンへの真意を探りながら近づき、寄り添おうとし、ときに突き放す彼らとともに、ヨンへが本当に見ているものは何か想像し、思いを馳せる。
おそらく彼女に最も近づこうとしていたのは、ヨンへの姉であるインへだろう。ヨンへを利用することなく真摯に寄り添おうとするが、家族として人間としての健全な生を望むために、結局はヨンへに拒絶されてしまう。
ヨンへが単に女性として生まれたがために受けてきた様々な形の暴力を、インへも同様に受けてきた。ただ、少しだけ要領良く振舞う術を身につけることができたかどうかの違いがあるだけだ。姉妹は狂気を挟んで紙一重のところにいる。向こう側へ行ってしまった妹を必死に引き戻そうとしながら、インへ自身この現実にとどまるべき理由がわからず、自分もそちら側へ行ってしまえたなら、とすら考える。
現実的な生死と、狂気と正気の境界、どちらの意味でも、わたしたちはそのギリギリに立ち、それに気づかぬよう必死に目を逸らして生きている。ヨンへが越えてしまった境界をいつだってわたしたちも超えていける。あの明け方に突然理解したことは、そのことだった。
いくつもの傷を抱えながら、また自身でも周囲を何度も傷つけながら、時間に追われて飲み込んでいくそれらの記憶は、消えていくことなく身体に溜め込まれている。いつだってそれは、現実の足場から簡単に引きずりおろす強い力を持っている。

ただ、昨今の暴力に対する動向を見ていると、この現実でできることはきっと少なくない、と思える。取り返しのつかない無数の傷に対して、できることはまだある。


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