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店探しのときに「どこでもいい」と言う人

ついこの間、桜が満開で気持ちのいい日に自転車を乗っていた時の話です。

横断報道を渡る一歩手前で信号が赤になりました。その横断歩道は小走りすれば1秒で渡れてしまいそうなくらい短くて、おまけに平日の昼間だったので車通りも全くなく、無視してしまっても危なくはない状況でした。ただその時は急いでもいなかったし、天気もよかったので、信号が青になるのをゆっくり待っていました。

私のすぐ後に2人の人がその横断歩道で止まりました。2人ともきちんと信号を守り、私と同じように青になるのを待っていました。一向に車が来る気配はなし。そこに横断歩道の向こう側から自転車に乗った人がやってきて、左右を確認して自動車が来てないことを確認すると、あっさり信号を無視して私の横を颯爽とかけて行きました。するとその後すぐ、私と一緒に信号を待っていた2人も信号を無視して歩いて行ってしまいました。

一旦信号無視は良くない等の話は置いて置いて、ちょっとびっくりしてしまいました。「この人たちは自分で何も決めていないな」と。信号無視をしている人をみて「自分もそうしようと」最終決定したのはその人たちですが、私が信号を止まっていたから自分も止まる。後から来た人が無視したから自分も無視する。この人たちが全ての状況において何も決めないわけではないと思いますが、あまりにも拍子抜けしてしまいました。

この決断を自分ではないその他多数に任せている人、考えてみればたくさんいます。流行っているだけが理由で物を買う人、みんなと同じような服や髪の人、店探しの時に「どこでもいい」だけ言う人。(この状況でのどこでもいいは、どうでもいいと同義だと思っている)妹の話ですが、台湾に友達数人と旅行中、タピオカを飲もうとなったらしいですが、妹はタピオカが好きではないので「私はタピオカいらない」と伝えると「じゃあ私もいらない」とひとりなり、ふたりなり、結局誰もタピオカを飲まなかったらしいです。なんやそれ。全てにおいて意見やこだわりを持つべき、というわけではないですが、なんだかなあと思います。

決断って人生の岐路で必ずしなければならないことです。進学でも、就職でも、転職でも、引っ越しでも、結婚でも、離婚でも、子供を持つでも、持たないでも、その他多数のそれぞれの人に待ち受けている人生岐路で、決断はやってきます。他人に決めてもらう・なんとなく決めるでもやり過ごせないわけではないですが、自分の人生です、絶対自分で考えて決めた方がいいと思います。

まあ難しいですけどね、毎回自分の意思を持って何かを決めるのは。まずは店選びの時に「どこでもいい」と言うのはやめてみたらどうでしょう。幹事の人も助かるでしょうし。

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