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夜のコラム「花見の季節に思う」

4月に入ったが、今年の仙台は肌寒くて桜の開花宣言は例年より10日程遅かった。宮城県の桜の名所は結構あって、大河原町の一目千本桜、松島町の西行戻しの松公園、などきれいらしい。私は機会がなくてまだ二か所とも見ていない。
仙台市は西公園と榴ヶ岡公園の桜が有名で、花見客で賑わうが、コロナが流行り出してから2年間花見は行われていなかった。

まだまだ予断は許せないこの頃だけど、今年は感染対策をしっかりとしながら花見を、との事で屋台も出て西公園では恒例の「桜まつり」が行われている。(一方の榴ヶ岡公園では中止となった)今日はまだ三分咲きくらいだったけど、花見を楽しむ人達で久しぶりに公園は賑わっていた。もちろん皆、屋台に並ぶ時も間隔を開けて、マスクをして、密なイメージはない。開放的な雰囲気にコロナ前と同じような明るさを感じるのだけど、まだまだ以前のような日常世界とはかけ離れていた。私は娘と母と行ったのだけど、ぐるりと一周して帰った。未知のウイルスとの闘いはまだ終わっていない。そんな風に思ってしまう。

花見の起源は奈良時代に貴族が梅の花を楽しむ宴を開いたことが起こりだそうで、それがソメイヨシノの起源にも繋がったそうだ。それからは桜を楽しむ花見になったそう。時代が変わっても、花を愛でて昔であれば歌を詠み、今は思い思いに歌ったり(今年はないかな?)春の楽しみは変わらない。ウイルスが自然界から発生しているならば、人は自然が生み出したウイルスと闘い、自然が生み出した美しさに癒されているのだと感じる。

あるがままを受け入れて過ごし、そして希望を持って毎日を大切に生きていたいなあと、花見を通して感じた今年の春だった。


1枚目:近所の寺院の桜
2枚目:西公園の三分咲きの桜

(MacBook)

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