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悟りも「嘘」説

私たちは、自分で世界を作っています。

この世界はなんのために存在するのかって
そんなの決まっています。

あなたが
「世界で遊ぼう」と思ったことが、
この世が存在している理由ですよ。

遊ぼう!と思った時、
あなたならどんな世界だったら面白いと思うか。

あなたが神ならどんな世界を作るか?って話ですが、

たぶん、きっと、
ゲームみたいな感じにしようと思う人は多い気がします。

ゲームみたいにしようと思うんじゃないかなと思います。

ゲームみたいな感じっていうのは、
ちょっと、難しい課題があって、
それをクリアするとレベルアップ!みたいな世界。

時々、敵が現れて、戦い、
勝つとレベルアップみたいな。笑
そんな感じのことです。

思いがけないストーリーが生まれたりとか、
ちょっと難しいハンデを背負ってたりすると、
さらにゲームは面白くなりますよね。

もし、敵もいなくて、
平和で、
なんの心配もなくて、
難しい局面なんかなーんもなくて、
レベルアップとかもなく、
比較もなく、
競争もなく、
みんな同じで、
顔も同じとかで、
やることはあるけど、
それに邁進だけしてて、
充実してて、
それで死ぬみたいな世界だったら、

そんなゲームつまらない気がします。

そういう世界だったら、
まぁ、別に生まれてこなくてもいいかなって思いますよね。

悟りを開くと、
もうこの世に生まれてこないといいます。

つまり、
悟りというのは、
「もう生まれてこなくてもいいかな」
って思う世界観だと思うのですけど、

「もう生まれてこなくてもいい」
と思う世界観って、
すべてに飽きた時ですよね。

もういいや、生まれてこなくて、って思う状態がどういう状態か。

全てを悟ったら、全てを愛と感じるかっていうと、
そんなことないんじゃないかと思います。
愛とかに感動できるなら、
悟ってないし、
愛とかに感動できるなら、
また生まれてきますよ。笑

もう生まれてこない状態って、
愛にも飽きた時。

一周回って、
全てが、くだらないって思うことだと思います。

つまり、
悟りって、「全てくだらん」って思う世界。

他人と自分は同じだし、
差もないし、おんなじだし、
だから生まれなくていいし。
って思うわけですよ。

悟った人は他人に興味ないですよ。
それは、
「愛」とは、別世界。

人を愛してたら、
悟りの世界なんかに達しない。

悟りとは、
人に興味のない世界。
世界にも興味のない世界。

だから生まれてこなくなるわけです。

石でも世界に興味があるから存在してるし、
川だって、風だって、
世界に興味があるから存在してるのに、

悟ったやつは、世界に興味ないわけ。

で、最初に、
世界は自分が作ってるって話に戻るのですが、

私たちって、
実にクリエイティブなわけです。

毎日毎日、世界を創造し続けている。
今、目の前のことを創造し続けている。

その創造をやめることが悟りですから、

悟ために、瞑想したりとか、
悟ために、修行したりとか、

意味ない。

世界に興味を持たず、自分にも興味を持たず、
他人にも興味をもたなければ、悟れるわけです。

悟りほど、意味ないものはない。

そして、その悟った状態ですら、

その人が創造した世界観でしかない。

つまり、悟りなんてものは最初から嘘なんです。


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