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『花束みたいな恋をした』感想文【ネタバレあり】

先週末、職場の先輩に勧められて観てきました。今年、劇場で観た1作目がこの作品でよかった。ネタバレありの感想なので、まだ観ていない方はくれぐれも自己責任で。ぜひ劇場へ行ってくださいね。

公式サイトのあらすじはこんな感じ。

東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った 山音麦(菅田将暉)と 八谷絹(有村架純)。好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。最高峰のスタッフとキャストが贈る、不滅のラブストーリー誕生!
──これはきっと、私たちの物語。

要するに、出会って、恋に落ちて、別れるまでの二人の5年間を描いた作品です。ストーリーとしてはただそれだけ。正直、平凡です。でも、どこまでもリアルなんですよね。麦と絹は、スクリーンの中ではなくて、ぼくたちが過ごしてきた日常の中に、確かに存在していました。

これは、自分の映画だ。

映画を観た後、初めに抱いた感想がこれ。あらすじの最後の一文そのままでした!(すごい!)映画だけに限らず、優れた作品は「これは自分の物語だ」と多くの人に思わせる力があります。きわめてパーソナルな部分を描いているにも関わらず、共感性が高いという図式です。本作は、まさにそんな作品だったと思います。正直、予告を見たときはそこまで分からなかったです。むしろよくある恋愛キラキラ映画かと思ってました(笑)。全国のサブカル男子・女子たちよ、今すぐ劇場へ急ぐのだ。

ここからは、印象的だったシーンや台詞などを気の向くままに語っていこうと思います。(※台詞はうろ覚えです)

そもそもタイトルの意味って?

この作品が、たくさんの人の興味を惹いているのは、主演二人の名演技もさることながら、きっとタイトルの影響が大きいのだろうなあと。「花束みたいな恋」。ぼくには思いつけなかった比喩。さすが坂元裕二さん。映画を観るまでタイトルの意味はあまり分からなかったのですが、今なら2つの意味があるように思います。1つ目は、花束のようにたくさんの思い出が刻まれているということ。2つ目は、永遠ではなくいつかは枯れてしまうということ。花束って自分で買う人は少ないと思うので、それだけで二人の関係性も感じられますよね。作中には、様々なかたちで恋の終焉が描かれます。

はじまりは、おわりのはじまり。

はじまりは、必ずおわりを内在している。別れは出会いのはじまりとよく言いますが、出会いは別れのはじまりなのです。序盤のシーンで、麦が一緒に撮った写真に写っていた花の名前を絹に尋ねますが、絹は「その後の人生で、その花を見るたびにその人のことをずっと思い出すことになるよ」と言って教えません。絹は、麦と違って恋にはおわりがあることを知っているのです。「恋愛生存率」というブログ(と作者)の存在が物語に奥行を与えていました。これは、タイトルが持つ2つ目の意味ともリンクしています。

ポップカルチャーと固有名詞

やはりこの作品を語るうえで欠かせないのが、ポップカルチャーの存在。小説、音楽、映画、ゲームなど、実在するものがたくさん劇中に登場します。ぼくは短歌が好きなので、穂村弘の名前が登場したときはびっくりしました!(たぶん二人が読んでいたのはエッセイだけど…)突然ですが、ここでひとこと叫ばせてください。きのこ帝国の「クロノスタシス」をカラオケで歌う絹(有村架純)エモすぎだろー!!ちゃんと350ml(スリーファイブオーエムエル)の缶ビール飲みながら帰りやがってぇえー!!! ごほん。とまあそんな感じで、元ネタを知っていないと楽しめないであろう小ネタのオンパレードなのです。繰り返しになりますが、正直、予告からはそんな雰囲気は微塵も感じませんでした。断言します。この映画の予告を作ったのは、絹の父親です。とりあえず今の若い子が聴いてるのはワンオクだろ?ってあの態度。まさにあれです。そう、この映画は予告篇が本編のメタ構造になっているのです。「社会に出るのはお風呂に入るようなもの」という母親の比喩を”レトリック”といって絹は揶揄していましたが、作品のタイトルも「花束みたいな恋」という比喩なんですよね。この二重構造は、意図的なのか偶然なのか… おっと、少し話がずれました。とにかく、ポップカルチャーはこの映画の大きな要素です。そのおかげで、これまでのよくある恋愛映画とは一線を画しています。特に、20代半ばの世代にはドンピシャで突き刺さったはず。ただし、あくまでこの作品の本質は二人の恋愛模様なので、おかずにすぎないのも事実です。劇場にいた陽キャカップルたちが、どんな想いでスクリーンを見つめていたのか、ぼくには知る由もないのであった…

分人主義と芦田愛菜ちゃん

前半は、二人の恋愛が始まっていく様子をキュンキュンしながら観ていました。信号を待つ間のキスシーンはとてもよかった。あと、付き合うまでは時間をかけるのに、付き合った後にやることすぐやっちゃうのもいかにも大学生っぽくてよかったですね。一転、後半は、就活によって少しずつすれ違っていく二人の様子がリアルに描かれていきます。喧嘩の仕方だけでも、全員共感できるんじゃないかっていう現実感でした。さて、ここでひとつ紹介したいのが、”分人主義”という考え方。詳しくは割愛しますが、小説家である平野啓一郎さんが提唱されておられる考え方で「人は相手によってそれぞれ違う自分を持っている」というようなものです。平野さんの著書『私とは何かー 「個人」から「分人」へ』から少し引用してみます。

一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない。
愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態のことである。

就職して麦が変わっていったのは、これまでと違う分人ができたということで理解できます。上司や職場の同僚と過ごす時間が長くなるにしたがって、その割合は日に日に増していきます。人は、自分の周りの5人の平均値になるという話もあります。文学好きだったはずの麦が、そんなことはそっちのけでNewspicksを読み始めるところは印象的なシーンでした。一方で、絹の生活には基本的には麦しかいません。固有名詞でつながる関係は、それを失った途端に崩れてしまう危険な関係と表裏一体です。もちろんお互いの性格も含めて好きだったとは思いますが、あまりにも趣味や嗜好が同じすぎました。一つ一つは小さなすれ違いだとしても、それが少しずつ積み重なることで、気づいた時にはもう埋まることのない大きな溝になっていきます。絹が就活で圧迫面接をされたときには「面接官は偉いかもしれないけど、きっと今村夏子の『ピクニック』には感動できない人間だよ」と言って励ましていたのに、数年後には麦が”そちら側”の人間になってしまうのも、とても悲しいシーンでした。自分がなりたくないと思う人間にこそ気づいたらなってしまっているものだよ、とある日職場の先輩に言われたこと思い出しました…

似たような文脈で、もう一つ思い出したことがあります。それは、芦田愛菜ちゃんが『星の子』の舞台挨拶で語った「信じる」ということへのこの台詞。(愛菜ちゃん、いや芦田さんと呼ばせてください)

「その人のことを信じようと思います」っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、「それがどういう意味なんだろう」って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、「自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな」と感じて。
だからこそ人は「裏切られた」とか、「期待していたのに」とか言うけれど、別にそれは、「その人が裏切った」とかいうわけではなくて、「その人の見えなかった部分が見えただけ」であって、その見えなかった部分が見えたときに「それもその人なんだ」と受け止められる、「揺るがない自分がいる」というのが「信じられることなのかな」って思ったんですけど。
でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は「信じる」って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました。

電車に”乗っていた”ことを、電車に”揺られていた”と表現する麦は、絹にとって心ときめく理想の人でした。同じ本棚を共有できる唯一の人でした。ですが、日常の変化によって徐々に見えなかった部分が見えてくると、あれ?これは何か違うぞ、と。結局、ぼくらは大抵の場面で、目の前の人をありのまま見ることはできず、理想の人物像を相手に押し付けているだけなのかもしれません。

生活と現状維持

本作の大きなテーマの一つに、趣味と仕事の選択があります。坂元さん脚本のドラマ『カルテット』の1話でも、この世には好きなことを仕事にできる人とそうじゃない人がいる、という台詞がありました。きっと坂元さんの中で作品を通じて描きたいテーマなんだと思います。麦のデザイナーになるという夢と挫折、先輩カメラマンの末路、絹の転職。何が正解というわけではなくて、そこにはただそれぞれの選択の結果があるだけ。本作では、そんな印象を抱きました。

二人で一緒に暮らし始めたときに麦が言った「現状維持」という言葉。あれは、麦と絹それぞれにとって何を意味する言葉だったのでしょうか。その言葉を聞いたときの絹の表情がとても印象的でした。現状維持って何だ?と。麦にとっては、絹と一緒に暮らしていくことこそが「現状維持」という言葉の指すところでした。そのために、デザイナーになる夢を諦めて家計の稼ぎ頭となる道を選びます。ただ、それは結果的に、絹にとって”今の麦”を失うことでもありました。つまり、本当の意味での「現状維持」を求めていたのは、絹のほうだったのです。その証拠に、麦だけが、何度も「生活」という言葉を使っています。別れ話のシーンでは、恋愛感情はなくなっても一緒にいるべきだということまで言っていました。ただ、残念ながら、絹が望んでいたものは、その「生活」の中にはありません。二人の見た未来におけるすれ違いが、巧みに描かれています。切なすぎる…

他にも、土井監督の演出が光るシーンがありました。それは、就職前と就職後の駅からの帰り道の対比です。はじめは、駅から家までの道を、二人でコーヒーを飲みながら手をつないで帰っていました。その30分がとても大切な時間なんだと絹も言っていました。ですが、社会に出た後の二人の手には、それぞれの荷物が。そして、もう片方の手にはいつものコーヒー(安いコンビニのやつになったけど)。そのコーヒーを諦めさえすれば、手をつないで帰ることができたはずなのに。残念ながら手は2つしかないので、ぼくたちは常に何を持つかを選ばないといけないんですね。BUMP OF CHICKENの『同じドアをくぐれたら』の歌詞を思い出す、切なさあふれる素晴らしいシーンでした。

もう 気付いたろう 目の前のドアの鍵を
受け取れるのは 手の中がカラの時だけ
長い間 ここは居心地が良くて
いつの間にか いろいろと拾い過ぎた

恋愛はひとりに一個ずつ

本作では、物語に深みを持たせるモチーフとして、イヤホン、靴、焼きそばパン、ファミレス、トイレットペーパーなど様々なものが登場します。中でも最も象徴的なのは、やっぱりイヤホンでしょう。LとRは別々の音が鳴っているから、それを分け合った時点で同じものを聞いているわけではない、と。麦と絹も昔はイヤホンを分け合ってひとつの音楽を聴いていましたが、変なおっさんにファミレスでそのことを指摘されたことで、冒頭の現代のシーンでは自分の考えとしてそれぞれ同様のことを今彼(氏・女)に発言していました。このイヤホンは、麦と絹の関係性を最も端的に表現しているメタファーです。共通の趣味でつながり、『宝石の国』を読んで一緒に涙した二人が、少しずつすれ違いはじめる。同じもの(コンテンツはもちろん時間・暮らしも)を共有しているにもかかわらず、全く違うものとして感じるようになっていく。そして冒頭の麦の台詞「分けちゃダメなんだって、恋愛は」。イヤホンを分け合う(=恋は二人でひとつ)という関係は、いわゆる共依存的であると言えるでしょう。共依存の関係は、最初はよくても次第に互いの理想を押し付け合うようになり、息苦しくなっていきます。(経験ある方も多いのでは?)それぞれが別々の人間として自立したうえで一緒にいるという選択をすることが、本当の意味で幸せになれる恋愛や結婚のかたちなのかもしれません。個人的にも、長続きしている夫婦ってなんとなくそんなイメージがあります。

作品のメッセージを象徴するという意味以外でも、イヤホンはいい仕事をしてました。これも、土井監督の光る演出のひとつ。はじめは二人の世界を繋ぐきっかけになったイヤホンが、後半では二人の世界を分断する役目として使われているのです。たとえば、リビングで絹がゼルダをプレイしているとき、麦はイヤホンをして自分の仕事に向き合うというシーンがありました。このようにして、離れてしまった二人の心の距離を対比的に見せているのは、上手い演出だなと思いました。

トイレットペーパーと花束と焼きそばパン

とまあここまでいろいろ書いてきましたが、実は、冒頭に貼ったキービジュアルが、この作品のすべてを象徴しているんですね。ポスターを見ながら劇場を去るとき、それに気づいたときはぞっとしました。

花束

麦は、トイレットペーパーを抱えている。絹は、花束を抱えている。そして、ひとつの焼きそばパンを分け合っている。

トイレットペーパーは「生活」の象徴なので、麦が持つべきなんです。一方で、花束は「絶頂とおわり」の象徴なので、絹が持つべき。そして、ひとつのモノを二人で分け合っているんです(イヤホンの時と同じ)。あぁ。なんて美しくてなんて切ない表現なんだろう。この写真を見るだけで泣けてくるのには、事細かに計算され尽くしたロジックがあったのです。土井監督、まいりました!

ここまで、いろんなテーマを行ったり来たりしながら、だらだらと感想を書いてきました。気づいたら6000字越え。このようなかたちで映画評を書くのは初めてだったのですが、いかがだったでしょうか?この作品がもっと深く味わえる文章になっていたら幸いです。あらためて、『花束みたいな恋をした』本当に素晴らしい作品でした。DVDが出たら絶対また見ます。それでは皆さんさようなら。

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