『コントが始まる』第2話 「言葉と本心、サンダルとスニーカー」
『コントが始まる』第2話。人気・実力揃った俳優陣の演技、嫌味の無いストレートな演出が響いて、思わず台本の存在を忘れてしまいそうになる。いつの間にか、居酒屋で机を囲む5人に混じって酒を酌み交わしたような気分になっていた。そして、エンターテインメント全般が苦境に立たされている今「興行が誰かの生きる力になる」という当たり前のことを思い出させてくれる物語に拍手をおくりたい。涙をふいて、ネタバレありの感想を書きます。
第1話では、4つ揃った「ぷよぷよ」のイメージが積み重なり、解散が決定づけられたかのように見えたマクベスだが、中村倫也演じるマネジャー・楠木の台詞が、それをひっくり返す。
楠木「俺としてはマクベスと2人3脚でやってきたつもりなのよ。ああ…4人だから4人6脚か」
春斗「いや、4人5脚ですかね」
楠木「ああそうか。6脚だと俺だけ仲間外れになっちゃうか」
緊迫した空気を脱臼させながら、終わりの数字「4」が揃わないことで、マクベスの解散については一旦、棚上げされる。3つの牌が1組となる麻雀が登場することからも「3」という数字が持つ欠落のイメージは塗り替えられていく。
中浜姉妹の会話から、この回のキーワードが提示される。つぐみにとっては「気になる」と「好き」が同義で、里穂子にとっては違うような「言葉のズレ」。
冒頭で3人が演じるコント「屋上」。屋上から飛び降りようとする若者と、その隣のマンションに住む夫婦、3人の会話のズレが笑いを生む。コントの外側でも、彼らの会話は少しずつズレていく。解散を決めるきっかけの一つだった瞬太の一言「バイト先の店長から正社員に誘われている」は、店長からすると「いつでも待ってるから精一杯打ち込め」という意味だった。潤平の彼女・奈津美がマクベスに対して否定的なことを言ったのも、「ハッパをかけるため」だった。
言葉を発した側の本心は、潤平がブランコから飛ばしたスニーカーのように、どこかへ消えてしまう。言葉を受け取る側が想像する相手の本心は、代用品のサンダルみたいな、似て非なるものだ。
瞬太の視点で描かれるシーンは「落下」と「死」のイメージに支配されている。父の遺影の前で、ぷよぷよが落下する画面を見つめる幼少期の瞬太。彼は、「27クラブ」のアーティストみたいに27歳で死ぬはずだった。28歳の誕生日を祝うケーキのロウソクは、彼にとって落語「死神」のロウソクに見えたことだろう。そんな彼が高校時代に「死んでもいいかな」と思って屋上から地面を見つめていた時、現れたのが春斗だった。春斗の言葉が、瞬太をつなぎとめる。瞬太のモノローグで、今まで言葉にしなかった本心が語られる。
「春斗の言葉に導かれて間違ってたことなんて、一度だってない」
瞬太が信じたのは、春斗の「言葉」だった。このドラマは、モノローグという登場人物の「本心」を語れる構造を採用しておきながら、本当に大事なことは語らない。瞬太が書いた遺書は、本当に死を意識したものだったのか。それとも言葉通り小道具に魂を込めるためだったのか。それは潤平のブログに書かれた「選択」が、マクベスを結成したことなのか、麻婆丼のことなのか分からないのと同じで、
「どっちとも解釈できると思います」
人は、言葉にいくつも意味を持たせる。受け取る側の解釈で、本心からはズレていく。このドラマには、言葉をどれだけ交わしても本心は伝わらない、という諦念がある。だからこそ、大事なことはコントで語る。コントという虚構の世界で放たれたあの言葉だけが、本心に限りなく近づいたように見えた。
と、ここまで書いて「そういえば、潤平が失くしたスニーカーはどうなった」と思い、見返すと、ライブからの帰り道でちゃっかり履いていた。やっぱり、ちゃんと向き合えば、本心は見つかるのだ。
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