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新曲「panorama」 公開によせて

コミュニケーションが苦手過ぎる。

コミュニケーションはキャッチボールに例えられる。ボールを受け取って、相手に投げる。人の意図を正確に理解して、自分の意図も正確に伝える。

だけどそれだけじゃない。

表情や声のトーンとか身振り手振りとか、いろんなことを意識して、相手の感情にも気を払わないといけない。意図なく誰かを不愉快にさせないことは大前提で、相手の感情をどう持って行くかを考えないといけない。それをリアルタイムで、同時並行で。

こんなん、キャッチボールというよりジャグリングに近い。無理無理。

だけどコミュニケーションが必要ない仕事なんてこの世にないから、どんなに苦手だろうと乗り越えなきゃいけない。そう思った僕は本を読んだり、言葉を覚えたり、テンションを上げてみたり色々と試行錯誤して、結果、割と克服したつもりだった。

だけどそれは、出来ることがちょっとだけ増えた自分に酔い、謎の全能感を感じていただけで、まったくそんなことはなかったんだナ。それに気づいた時・・・、どちらかというと、人から指摘されて、気づかされた時の恐ろしさ、恥ずかしさといったら、ない。周囲の目が急に気になって縮こまってしまうね。

ああ、自分って結局コミュニケーションがダメなんだ。人の気持ちも分からないし、空気も読めない。すぐ失言するし。そのくせ喋りたがる。そんなときに周りを見渡すと、そんなことに悩んでいない(ように見える人)ばかり。

「人生は山登りだ!」とか言うけれど、自分なりに登り切ったはずの山には全然先があって、しかも自分と似たような背格好の人間が、はるか上を歩いている。

あいつらと自分の何が違うんだ、とつい考えてしまう。そして結局生まれ持った才能のような気がしてしまう。そういうスタンスが成長を阻害するのかもしれない。けどそう思わないとやってられない。スベった落語家だって楽屋で「今日の客は全然笑わない客だった」とか言うじゃないか。。。(他責志向は自分だけじゃないから大丈夫、という更なる他責志向。。。)

しかしながら人生100年時代、老後2000万円時代、ステルス値上げを通り過ぎてマルダシ値上げが横行する時代。人並みの幸せをつかむためには、今以上にガンバってお金を稼がなきゃいけない。

けど無理して登れば登るだけ傷ついていく。

自分には出来ない、向いてない、辞めたい、そんなことしか思わない毎日だけれど、いくら出来ないやつだって、「会社」の中にいる限りは守られているわけで、誰かが助けてくれている。けど僕という人間はそういうことへの感謝もないわけである。

だから上司から「あなたには感謝の心がない」とか転職の面接で「コミュニケーションが独善的で弊社には向いていないと思われます」とか心療内科の先生から「社会人としての自覚が足りない」とか言われてしまうんだ。。
あれは先生というよりヤブ医者だ。なんで患者に塩を塗るんだよ。

表面的なスキルじゃなくて、僕に欠落しているのは人として当たり前の根本的なスタンスなんだと思う。それに向き合うことは本当に辛い。しかも向き合ったってすぐに変わるものでもないから、根本的な欠陥はそれはそれとして抱えたままこの時代を乗り切らなきゃいけない。だから登って、何回も落ちて、もう登りたくないと思うのに、「やっぱり登るしかない」という結論に至って、また登る。

いったい自分が何に登っているのか、それは最後まで・・・もしかすると最後になっても分からないのだと思う。

こんな僕の感情を完璧な詞にしてくれた春日ですに感謝。

いつもきれいにお使い頂きありがとうございます。 素晴らしい音楽を作るための費用に使います。