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note三日坊主による独白と意思表明

はい、毎日投稿するという宣誓を可憐に破る人間です。

noteに限らず、日記やブログ、SNSの毎日投稿は、おおよそ続かない質でした。

三日坊主によるここ数日の振り返りと、反省を書いていきます。



最近、話がうまいな、と思える人の講義を聞く機会が多々ありました。そこで感じたのは、
「伝えることに、意気込みすぎないこと」
でした。



現在、私の下書き欄には5個の記事が溜まっています。

完遂させてれば二日に一度投稿ができたのになぁ、と悔やみつつも、手が動かない自分に慌ても焦りもせず、許していた部分が大きいです。

そこには、
「もう少し待てばより洗練されたアイデアが出てくるはず」

という完璧主義の精神や、

「できるだけ多くの人に興味を持ってもらえるように」

「面白い奴だと思ってもらえるように」

「後から読み返した時に「自分、良い文章書くじゃん♪」と思えるような技巧を凝らしたものを投稿したい」

という、ええかっこしい精神が潜んでいます。


もっと気軽に書きたいよなあ、としみじみ思います。
この場に他者や未来の自分からの承認欲求は、お呼びでないんですよね。

書きたいこと、言いたいことを、表現する練習のためにnoteを書きたいな、と思います。


伝えることと、理解してもらうことは違います。

私は伝える文章を書いていく予定です。
私にとって、伝えることとは独白です。自分の脳内を、返事をしない誰かに向かってひたすらぶつけることです。


納得の出来ないものができあがってしまったら、自分の身の丈を知る良い機会だと思い、気にせず次に行きたいと思います。

中身の無いものに意味はないだろ〜と思っていた時期もありますが、これからは少し、質より量を重視していこうね。



言葉は優秀な伝達手段です。しかし、伝達手段を伝達に使わなければならない、なんてことはないんですよね。

机を椅子にしてもいいし、鉛筆を耳かきとして使ってもいいし、食事を娯楽にしてもいいし、勉強を遊びにしてもいい。穴があいた靴下を捨てたら勿体無いからといってまとめてボールで遊んだっていいんです。

組織に属し、協調や効率化を目指すのでなければ、ルールなんて自分で決めることができる、決めなければ成り立たないということに、最近やっと気づき始めました。

遅いよ… きっと、学生時代にしっかりと反抗期とあった人には、今更すぎる話題なんだろうなぁ…

支離滅々ですが、時間的に厳しいものがあるので、この駄文を仮想空間に投げ込もうと思います。

次回は一度やってみたかった、コスメのまとめでも書いてみようかな…

ワサビ

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