五輪の責任
「ミス・スリム」を意味する造語をタイトルにした荒井由実の2枚目のアルバム「MISSLIM」は、たいへんな傑作である。収められている曲の多くは、ユーミンが十代のときに書いたものだ。
次の3枚目「コバルトアワー」からユーミンの作風はがらっと変わる。セールスを意識してよりポップな曲作りをするようになったためだ。同時にもはや自分自身に十代の感性は失われ、二度と「MISSLIM」のようなアルバムはつくれないという自覚があったことも理由だ。
そのため「MISSLM」までの2枚のアルバムこそ最高であると信じるユーミン原理主義者には、それ以降のユーミンのアルバムは一切聴いていないという人が珍しくなく、「ルージュの伝言」を忌み嫌う人さえいる。このあたりのことは柳沢健の「1974年のサマークリスマス」に詳しい。
ユーミン自身「MISSLIM」の3曲目「やさしさに包まれたなら」について「すごく特殊な歌で、もう書けない」「今振り返ると、何であんなことを書けたんだろうと思うような内容」と振り返っている。
確かに「やさしさに包まれたなら」はとんでもなくスペシャルな曲で、ユーミンの最高傑作だと思う。楽曲のよさに加えて、バックバンドの演奏のすごさも鳥肌ものだ。鈴木茂のギター、細野晴臣のベース、林立夫のドラム。まさしく耳に届くすべての音がメッセージにあふれている。
5曲目に収められているのは「12月の雨」だ。
この曲を初めて聴いたのは私が高校2年の時。どこかの喫茶店で流れてきたような記憶がある。初めて聴いたその瞬間、今までの日本のフォークとはまったく違う世界だとしびれたものだった。吉田拓郎や南こうせつあたりとは、まったく色合いが違ったのである。
そこでそのままユーミンの世界に飛び込んでいったら、私の音楽人生ももっと変わったものになったかもしれない。だが田舎の高校生にとってユーミンの都会的なセンスはあまりにまぶしく、加えてそのボーカルの下手さにはさすがにちょっと引いてしまった。そこで私はもうちょっとフォーク色が強くて、歌の上手な五輪真弓に走ったのである。
五輪真弓も悪くなかった。特に「Mayumity」というアルバムは出色。八王子の自宅で録音された曲が多く、とてもナチュラルな音質が心地よかった。
今気づいたのだがこのアルバムは細野晴臣が音作りで重要な仕事をしており、鈴木茂も参加している。もしかしたら荒井由実対策として五輪真弓はこのアルバムを出したのかもしれない。
ユーミンの「陽」に対して五輪真弓は「陰」。大学の友人であるオオタも、五輪真弓を指して「暗いよなあ」と肩をすくめていたのを覚えている。
「ジャングルジム」「夕ばえ坂」という実に内省的な歌が収められており、それらはセールスとはまったく無関係な曲ではあるものの、内省的であることに振り切っただけ、非常に魅力的でもあった。今聴き直すと(AmazonMusicで無料でフルアルバムが聴ける)、よくぞここまで内省的な歌を書けたものだと感心する。
もっとも1曲目の「なんて素敵な日」の出だし、鈴木茂のギターと細野晴臣のベースが流れる瞬間の緑色の世界こそ、このアルバムの白眉だろう。私はこのイントロの1秒を聴いただけで、新潟の3月、雪溶けの景色を思い浮かべる。
というわけで話を戻すと、高校生から大学生にかけてという最も感性豊かだった時期にユーミンではなくて五輪真弓に走ってしまったことが、私の人生にとっての大きな分かれ道。失敗であった。
「12月の雨」を聴いた衝撃そのままに、ユーミンの道を行っておけば私にはもっとポップでシティなセンスが磨かれ、シャレオツな音楽が創れたことだろう。
五輪真弓には責任を取ってもらいたいものであるが「知らんがな」と言われて終わりそうである。
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