在日が何故嫌われるのか?「通名」と「特別永住資格」

在日が何故嫌われるのか?実は在日(オールドカマー)とニューカマーが仲良しという訳ではない。むしろ知性的なニューカマーほど在日とは一線を置くのではないだろうか。何せ在日は”通名”と”特別永住”という特典が付いており、定期的にビザ更新しないといけないニューカマーの方々からしたら「同じ韓国籍なのに」と思うだろう。更には文化水準がとても高い日本において日本語を流暢に話し、経済的アドバンテージを持っており、韓国本国に行くとその経済力ゆえに我が物顔で韓国を練り歩く。日本では通名使用なのに韓国では本名使用という者もいる。他にもニューカマーからしたらカチンときたり納得のいかない事も多々あると思う。尤もニューカマーにも問題が無い訳では無いが今回は割愛する。
在日とは何なのか?まず整理してみよう。日韓併合により日本人となり、戦後そのまま日本に留まり一旦「朝鮮籍」という無国籍状態となった者である。因みに日韓併合以前から渡日した者も含まれるのだが、大抵そういう人々は併合前から来ている位なのでほぼ日本に帰化している。これが元来の「在日」である。だが戦後のどさくさに乗じて密航した者(特に朝鮮戦争時)も何故か在日枠に入り、在日扱いされる。正直一緒にして欲しくない。そして現代日本ではこの元々の在日もニューカマーも全員含めて「在日」と称する方々もいる。私としてはニューカマー(特に80年代後半以降、更に言うと2006年以降の「ビザ無し以降のニューカマー」)と一緒くたに見てしまうと本質が見えにくくなるので表記上は「在日」かもしれないが分類して考えてもらいたい。
細かく分けすぎるのも何なので、簡単に分類すると「通名と特別永住の有無」で分けて欲しい。
そして通名と特別永住資格を持つ在日の歴史を見てみよう。
まず通名。日本統治時代に日本が通名制度を制定するのだが、これを韓国や左派が「強制的に改名させた」と流布する。嘘です。当時朝鮮人が日本名を名乗りたいと懇願するので政府が日本名を名乗る事を許可・認可したのである。当時の朝鮮の新聞でも強制的ではない事が読み取れて判るし、朝鮮名のままの者もいた。そもそものそもそもだが、国民の9割以上が奴隷扱いの被支配層で戸籍さえなく大半以上姓さえも無かったのが朝鮮。戦後そのまま日本名使用を許された訳だが、便宜上及び都合上日本でも戸籍作成しなければいけなかった為朝鮮名は必須。敗戦国の日本としては一応「植民地」と世界から見なされていた朝鮮人を棄民扱いして突然日本名を奪うのも難しかったかもしれない。かくして世界でも稀有な「二つ名」制度となり、これを後付け理由で「生きづらいから」などと「被差別者」「弱者」になるためのツールとなった。だから嫌がられる。世間では日本名を使用するなというご意見が強まっているが、歴史的経緯から考えると少し論点がずれるので「どちらか一つ」としなければならないと思う。「改名」自体は世界でもなされている。ウォーキングデッドで有名なアンドリュー・リンカーンも改名していたり、改名の例はいくらもある。日本名なら日本名、朝鮮名なら朝鮮名の一つだけにすべき。昔と違い自由意志で韓国へ帰れるのだし、元々歪な制度なのだから70年も経っているのだし世界同様一つ名にしなければならないだろう。そして何より通名(日本名)利用で犯罪を犯し、通名で報道される。日本人の犯罪者かと見まがい、後々在日だと知れ渡る。日本人からしたら日本を凌辱されたと感じる人もいるだろう。何度も言うが「生きづらい、差別」は後付け理論。それに安易に騙されたり都合よく自分の中で解釈し「やはり生きづらい」と正当化する理屈になっているのが現在。長きに渡る歪な歴史がさらに拗れているのだ。

そして特別永住資格。もう説明の余地も無い無用の長物。世襲制にする意味ありますか?これに尽きる。選択できる自由さを日本は担保している。確かに「生まれた時から勝手についてきた」ものだし個人で「返納」できないのだから本人としてはどうしようもない。正直これは政府がやってくれないとどうしようもない。だがこれも在日がドヤ顔で「与えられてるのだから仕方ない」と言ってのけ、挙句に「差別する日本が悪い」とまで言ってしまうから日本人から反感の怒りを買う。更にはこの特別永住資格などなどによって犯罪者を強制送還も出来ず悪さをしても堂々と日本で暮らせる。特権以外の何物でもない。慎ましく生きる在日にとっては全く意識しないというか悪い事をしていないのであまり気にせずとも生活しているのが実情だが、本来とてつもなく大きな特権と恩恵である事は忘れてはいけない。

上記だけでも日本人及びニューカマーや他国の外国人から不平等感があるのだから、どうしても嫌悪感はもってしまう。
更に一番忘れてはいけないのは併合から脈絡と続く朝鮮人の犯罪。歴史的に在日(渡日も含めて)コリアンの犯罪率が高い。これについても長文となるので今回割愛するが、昔から日本文化と朝鮮文化は全く違うので併合されていきなり日本人になったからと言って元々の日本人らしく振舞える訳でもなく、勿論日本人からしたら「区別」はするし警戒も抱く。当時窃盗・詐欺・強姦・殺人・誘拐を平気で行う朝鮮民族に対し。それらを大罪・恥とする日本民族が不快に感じるのも当然だし、朝鮮半島整備の為に日本の国税を相当つぎ込まれたのだから不快に感じるのも当然だろう。

在日は日本によって生かされている。まずこれが原点なのだ。それを忘れて在日ありきで日本が変われと当事者(在日)が偉そうに言えば誰でも反発する。それは他の国でも同じ。そして今のLGBTと同じ構図。当事者(とそのアライ)が「世界が変われ。俺たちは変えられない。」と上から目線でふんぞり返るから合意を得られない。

「在日は嫌われている」。それには原初的歴史的背景と社会的国際的実績の上で「嫌い」と感じてしまうのであり、そもそも「嫌い」という感情を断てと言える訳でもなく、これまで積み重なってきた大きな社会心理でもある。常々私が言っているが、まずは在日こそが深い反省のもと、「日本との共存と共栄」を真に考えなければいけない。
ぶっちゃけますと、日本は自由過ぎる。それが日本の良さでもあるのだが、それ故にディストピアもまた生まれやすい。

だんご屋太郎より。良記事と思われましたら是非とも文末にあるハートマークを押してスキして下さい。また、価値のある記事だと思われましたらサポート頂けますと幸甚です。おこがましいお願いですが何卒宜しくお願い申し上げます。