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【光る君へ】為時を中心に回す感想まとめ日記(一話〜五話)

初っ端の視聴から主人公の父親藤原為時にドハマりして軽い気持ちで勝手に注目していたらそれはそれで面白いことになってきた気がする。

そんなオタクの様子を話数ごとにSNSでのリアタイ感想や考察などを手直ししつつメモ的にまとめてみた。

それぞれその回を見た当時そのままの感想ですので後の展開と嚙み合わない部分もあるかもしれないけれど、振り返りながら見てもらえればと思います。


第一話「約束の月」 一月七日

あらすじ:幼少期のまひろ。官職につけない為時が兼家からスカウトされる。道長との出会いから母親の死まで。


為時、めちゃくちゃ好きなタイプの父親キャラすぎて困る。
娘に心の豊かさを与えてくれるがうだつが上がらず、なかなか妻子を幸せにすることはできないタイプである。

こすい忖度や媚びは売らずに実直にやっていきたいと思ってたのに、兼家に雇用されたことによって、また献身的に支えてくれた妻を失ったことによってますます長いものに巻かれる選択もせざるを得なくなってしまったとこ、堪らん。

急な話なんですが、私は『シンデレラ』のお父さんが好きだ。

お父さん自身がおとぎの国の人のように夢みがちで純粋でたおやかなんだよね……それがシンデレラを喜ばせたけど、シンデレラを守りきれる強さではなかった。

その切なさがまひろと為時にもあるような気がする。

アシリパ(金カム)、ウタ(ONE PIECE)、猫猫(薬屋のひとりごと)、紫式部、今男親に育てられた娘が熱い。

娘に力を与えてくれた人だけど、でも100%頼れるわけではない、100%信じ切れるわけでもないみたいな塩梅も実に良い……


為時は為時で自分の誇りである学問のことを誰も重宝してくれない、誰も価値を分からない、関心を持たない…というやるさなさの中で、まひろが興味を持ってくれているのが嬉しかったみたいな感じくらいで、先進的だから女の子にも教えたってわけじゃなく、仕事がなく他にやることなかったがゆえの自分の慰めでやったような感じがあり、これはこれで好き。

今までの大河で一番好きだったのは『麒麟が来る』で、これも感想文書きたいと思っていたのに書き損なっている。

それの明智もそうだったが、真面目で実直な人間が世の中で上手くやっていくのにそれどころではなくなっていくタイプの話がほんと好きだ。


まひろは漢詩を読む父が好きだろうし、尊敬もしているからこそ、それと釣り合わない父の薄情に感じる部分に対してどうして?という戸惑いと寂しさが胸に深く刻まれる……

為時はまひろたちを養うために仕方なく諦めたのだという切ない解釈も良いし、いや結局最後までちやは(妻)のことを軽んじていただけなのだという解釈もどっちも良いし、どっちも両立しうるよね。

自分の子供は可愛いが配偶者は所詮他人なので別に…というのは現代の夫婦でもよくあるし、

妻本人より「産んだ子供」の方に価値がある、という話題が中で何度も繰り返されている。

あと源氏物語で帝がどれほど藤壺を愛していようとも、いじめから守ったりすることは特に無いような無神経さというか、無力さをまひろが実体験からどう感じ取ってきたかという描き方が面白いと思う。


あ〜〜学識を誇っている父が最後馬鹿になってしまうという父没落の瞬間の父権威陵辱最高すぎて…

いい最終回でした……

私のNHK為時しか映ってへんのか?

今からそんな熱を上げてたら為時出てこなくなった途端為時ロスになって見るのやめてしまいそう。

※この時は単に主人公の父親としてすぐ登場しなくなると思っていたのである。


第二話「めぐりあい」 一月十四日

あらすじ:代筆業をするまひろ。道長との再会。まひろを謹慎する為時、一方東宮からの信頼を得つつある。

今週の為時もよかったな……うわ〜バツが悪いからって怒鳴りつける!最低!100点!(?)

貧しく仕事の調子が悪い時の方がたおやかで優しげがあり、仕事で評価されるようになると気がデカくなって家庭で威圧的になる…!く〜〜〜っみみっちぃ〜〜〜〜でもあるある〜〜〜!!

平安男の繊細さ…みたいなやつを美化せずに描いてる感じする。

またなぜ娘が父親を嫌うようになるのか……を……


史実から持っていた為時の印象は、女性である紫式部にも分け隔てなく平等に学問を教えるような、どこか今で言うリベラルで寛容なイメージを持っていたけど、光る君への為時は少し違う。

あくまで当時の男社会のエリート男性らしいところがある。



宜孝にまひろに責められるのが居心地が悪く怖いと溢す為時。
まひろに物語を読んでやったのは登用されなかった悲しみを紛らわすためで、いざ今になるとまひろの賢さに怖さを感じてるの、か、勝手〜〜〜

そうやって男の一時の心の慰めと仕事の都合に振り回される女性の懐疑を"父性"の段階から描いてるのがめちゃ良い。


代筆業はまひろにとって唯一自分らしくあれることだけど、でも代筆業は代筆業でまた「自分を良く見せようとする嘘」に加担しうるものとしての虚しさがあるみたいな話もあるのかな…

為時に止められた絵師がまひろのことを知らんぷりされてたの、仲良くしてるように見えたのに芯からの味方なんてどこにもおらん……という感じがキツくてぎゅっとなる……


現時点の光る君へは、子供の頃に会った初恋の人という部分でジブリの『かぐや姫の物語』と少し似ている。

最近『薬屋のひとりごと』を見てた時から紫式部を思い出してたんだけど、やっぱ女にしては珍しい能力で既に宮中にいる人に見出されて後宮で働くようになる話として比較できるような気がする。

平安時代、遊んでるようなイメージがされるのって多分男性的な仕事の場とは違うところにいた女性目線の文学が有名になった影響もあるかと思うと、それってでも時代をまるごと女性目線で語るもののようにできたということで…それはそれで凄いことだな……と思う。

第三話「謎の男」 一月二十一日

感想に触れる前に、光る君へのキャストについてSNSや周りで気になる反応があったので少し違和感を持っていた。


一つは藤原実資役を演じているロバート秋山さんのことで、「こんな地黒の平安貴族いるわけないw」みたいなこと言われているそうで、

え、な、なんで居ないと分かるのか分からんし、今時そんなこと言う……?と思った。

ご本人も認めているのは知っているが、それでも肌の色は日焼け由来だけじゃない。

日本人でも生来の肌の色は様々だけど、日本人は日本人の髪をストレートが基本だと思ってるの同様、日本人の肌の色は"白い"のがデフォルトだと思ってる人が多いのかもしれない。

当時の美意識としてそれが美しいとされたから美術的に残される表現が直毛や色白ばっかりになるだけで、本当にそんな見た目の人間しかいなかったかというと、"分からない"はずだと私は思っている。

てか別に…ロバート秋山さんを見て"黒い"とかわざわざ別に何も思ってなかったから……そんなに「黒いから変www」みたいに即座に思う人いるんだ……となった……


もう一つは藤原詮子役の吉田羊さんについてだった。

「入内する役をするには(俳優さんの)歳が行きすぎてるw」と言われてる。

まひろの父親だって歴史上では今放送している当時は30代前後の頃のはず。

役の年齢と俳優の年齢が大きく異なることはよくあるはずだけど、女性の方が若い役をやるとより執拗に「おかしい」と言われているように思う。

平安時代としての考証が正しいかどうかよりも現代人のこういう見方の方が嫌だな…としみじみ思っていた。


気を取り直して、

あらすじ:まひろ、土御門のお屋敷へ行く。為時に間者として遣わされたのを知り、うずくまる。

今回てんこ盛りでめちゃ面白かったな〜大きな展開は別にないのに面白いの凄い。

キャラがみんな良い……そして濃い…

定子のシーンの、女の子は女の子で強くあるよう育てられてるという描写、いい

女性の名前がみんな「⚪︎子」ばっかだから覚えるの難しいって言って人見かけて、なるほどそのなかで「まひろ」って名前は目立つし、覚えやすいのかもな…となった。


まひろは倫子様に憧れのような気持ちを抱いたんだろうか。赤染衛門様とも気が合う。

あそこが気に入って、行きたいと思った。だから今回は父親に逆らわなかった。

不満もあったけど、でも呑み込んだ……右大臣様に取り立てられたから妻を諦めた為時みたいに……

父親に反発してたのは、母親のことを忘れてなかったからで、忘れたくなかったから。

だから怒ってたのに、自分のためにそれを少し取り下げてしまった……だから母親の琵琶を見て泣いてしまった……

うう………なんて苦しい………

為時が自分の学問の知識を活かせる仕事を持てて嬉しかったのと同様に、まひろも自分の漢文や和歌の知識を使える、評価してもらえる場所を知って嬉しかった………

分かりたくなんかなかった父親の気持ちを分かってしまった瞬間なのか………?

今回の君へ面白すぎるだろまだ3回目なのに

為時は為時で、東宮様がやる気をだしてくれて、やりがいが出てきて嬉しい!と思ったけど、その話をしても兼家はそんなこと喜ばなくて、政治的な成果を気にしてる。共感し合えない。

まひろも倫子様のとこへ行って楽しかったなぁと思ってたのに、為時は別の成果を気にしていて………嗚呼……父娘………


前回、ハハハハと男のように笑うと言われたまひろが今回はおほほほと笑う倫子様の真似をしてたの、か、かわいい〜〜〜となった。

影響を受けやすいというか、以前自分が高貴の姫だと嘘をついただけあって高貴の姫への憧れのようなものがあるの、分かる。

カードキャプターのさくらちゃんで言う「はにゃ〜ん」である。


光る君へ、まひろだけじゃなくてどの人物目線からでも人生に感情移入できるタイプの物語になっている……

これ道長が光源氏のモデルとしてというより、まひろ自身の道長との叶わないものが光源氏の藤壺への想いと重ねて書いたとかでもありそうだな……

光源氏は…誰かでもあり、己でもあり…という……

なんか源氏物語を読んで続きを待ちながらああではないかこうではないか、自分は誰に感情移入するかと語る当時の人々を追体験させられている気分になれる。


SNSでは華やかな女性グループに入ったまひろが倫子様にいびられたりするのではないかとハラハラしている人が多かった。

私が思うに倫子様は、まひろの強さを見るやかなり早い段階からあんまり札取りをやってなかった。
(見直せる人は見直してみると面白いです)

争いは同じレベルのもの同士でしか発生しないので、紫式部が史実で顰蹙を買わないようにしたのは宮中で同じ女房同士の間柄だったからでは。

入内するような身分の姫は、むしろ才ある女房をきちんと取り立てるのが役割なような。

同じレベルというのは、いわゆる競争関係にあるかどうかなわけで、

倫子様が早くに札取りから手を引いてたのも、争い合うような関係ではないからではないか。

他の姫はまひろに負けじとやっていたので、悔しくて不機嫌になってしまう。

でも倫子はそんなに食いつかずに、早くに観戦気分になっている。

格が違いすぎる。しかもまひろはかなり年下だし。

普通は一回りほど年下の女の子の無礼にいちいち目くじら立てたりしないだろ…というのは私の現代感覚かもしれないが。

土御門でのシーンは宮中のサロンの様子の前振りになっているとは思うけど、

倫子は最初から「研鑽だなんて、あそびよ」と言っていた。

その対比には男子たちが学ぶシーン。

男子たちの中で道長は「道長といると和む」というようなことを言われていた。

つまりのんびりとした道長も競争相手のように見られていないということ。

でも男子たちは研鑽すれば、努力すれば良い官職が得られる。

姫にはそんなこと関係ない。その身分に生まれたらその身分としての人生が決まっている。


詮子は努力をしようとして空回ってしまった。

高貴の姫は自分の立場をしかと理解して悠然と構える女性達のリーダーであることを求められていて、そんな必死なところなんて出しちゃいけないものとされている。

女性が努力や才覚で何かを変えられるなんて思えない世界。

まひろに負けじとなった姫たちは倫子に気に入られたい競争相手として何あいつ!と思うこともあるかもしれないけど、

でも倫子が正統派の姫ならばまひろがちょっと出来るくらいで揺らぐものは現時点では別にないはず。


だからこそ源氏物語の六条御息所が、高貴である自分が身分の低い女に嫉妬していることがあり得ないことで、認められない苦しみが際立つ。

身分の低い女にも手厚くすることがある光源氏はそこには良いかもしれないが、高貴の女性が普段は歯牙にもかけないはずの身分と同じ舞台に乗せられることになる。


兼家のリーダーシップとは、品格とは、ある意味一定の人間を同じ人間とは見なさないことであるという態度かなり平安の階級社会を端的に言い表してて、作中でも重要な気がした。

詮子も道長に身分の低い女は所詮遊びだから捨てなさいと言う。

身分が違うということは同じ人間ではないということ…

リーダーシップとは、下の者を同じ人間と見なさないことというのは一見酷いようでメリットもあるのが、リーダーが下の者にいちいち嫉妬してたらチームとして回らんわけで、

だから詮子はもう皇子の母なのにいつまでも遵子をライバル視するのはお角違いという理屈になる。

天皇を支える"チーム"だから…

女性に特有の状況もあるけど、でも女性だけが見舞われる不合理というよりも、

社会や政治に関わっている以上、個を曲げて社会に迎合する時があるような、それを"成長"と呼ぶかのような瞬間が女性にもある様子を描いている感じがする。

階級社会では女性同士も対等ではないこと前提だから高貴の女性は女性のリーダーとして育てられ、リーダーとしての在り方が問われるような姿が描かれるのは珍しいかも(ここで言う女性のリーダーとは現代的な意味ではなく、あくまで男社会と女社会の間を取り持つ役割としてのリーダー)

でも現代でも女性グループのなかでリーダーをやる女性っているからなってのは常々思っている。リーダーの役割をする女性は他の女性とは違う精神性を必要とすることになったりするのも。


何が一番言いたいかというと、

女は別に無闇矢鱈に嫉妬ややっかみをしてるわけじゃなくて、社会の構造や環境のうちで競争関係に置かれている場合にそれは起こるわけで、道兼が道長に嫉妬しているのも、親の愛情を争う関係にあるからなわけで…という。

ここのバランスが上手いなぁと思う。

道長は道兼からは嫉妬されてるけど、他の男子からは別に嫉妬や競争をするような存在だと思われてない。


散楽の人々や直秀との関わりは、まひろの貴族内では下っ端だけど、でも貴族だから平民よりは上というポジションが活かされてるの面白い。

そうでないと、まるでまひろが最底辺の可哀想な悲劇のヒロインという感じになってしまうだろう。

でもそうではなく、この作品はもっと多層的に描きたいんだと思う。

為時推しすぎてその俳優さんの岸谷五朗さんが出ているらじおまで聞いてしまった。

漢詩をたくさん読まないといけないので大変というところで笑った。確かに。

第四話「五節の舞姫」 一月二十八日

あらすじ:花山天皇の即位。先の帝に毒を盛られたことを知り激怒する詮子。五節の舞で道兼と道長の正体を知るまひろ。

まひろと道長の間に"偽り"という言葉が頻繁に出てくるのは「物語を語ることは"偽り"を語ることである罪」としての『源氏供養』が意識されてるのかな……

光る君へには個人の性格が悪いとか人間のネガティヴ感情とかではなくて身分とかそういう線引きを当たり前だと思っている人、めんどくさいけどある程度順応してる人、順応できない人がいるなかでの言動があるので、
身分に厳格だから悪い人、そうでなければ良い人みたいには一概に言えないように描いてるね。


倫子とその父親源雅信のやりとりが良い。

雅信に入内はどうかと言われて、少しむっとしている倫子。
私の父も昔は「結婚なんてしなくていいからね!」と言っていたのに最近になって「孫の顔が見たい」と言い出すようになったときには、「は?」と思ったものです。

なので、倫子も穏やかにやり過ごしたように見えるけど内心は「は?急に何?ボケとんか?」くらい思っていると思います。

これは間違いないです。

世の父親たちは、娘に急に結婚を急かすようなことを言うのは、"死"に値する重罪であると心得てほしものです。

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実際娘に甘い父親に育てられ、父親に意見を通せる娘は、実質そのパワーある父親よりもさらに強いかのようになるため、
その気位高さは並々ではなく、何か偉そうな男に傅かねばならない苦痛も並々ではなく、てか出来ないので、道長のような威圧的でない男が合うというのはめちゃ説得力ある。

しかし結局その自尊心は父親のパワーに依存しているから、その身分を腐すようなことは看過できないが、しかしその倫子こそ帝すら拒むかぐや姫のようなんだな……


倫子様サロンでも『竹取物語』についてまひろが自分の解釈を述べてたけど、
かぐや姫の物語のなにか男社会に理不尽を感じている女性が自分の思っているままをかぐや姫の解釈として重ねて爽快さを感じることができるようなところを使ってるの、面白すぎる。

しっかし、倫子様にはにゃ〜んしているまひろ、可愛い。


ここで身分を腐すようなことを言って倫子に釘を刺されるまひろ。

これを「怖い」って思う人もいるかもしれんけど、でも何も言わずに次の日から無視ですみたいなことの方が多いからな世の中……そっちの方が何が悪かったのかも分からず絶望感あるから……

こういうのを角が立たない形で教えてくれる人って貴重よな…


そして本日の為時なんだけども、まひろの「学問は人の道を説いているのに、それに詳しいはずの父がなぜそこから外れたことをするのか」という痛恨は為時自身も葛藤しているところだっただろうし、でもそれが為時によって"賢くなった"花山天皇が民の為の政を行おうとしているの、胸熱。

自分の本当の意志を実現するためには、それを実現できるだけのポジションが必要であり、そのためにはその意志を曲げなければいけないことがあるという……まひろも今後経験しそうなやつ…

女子は政治の道具にされたり利用されてることに気づいてる(気づいた上で従ったり反抗したり諦めたりしている)けど、道兼のように男子は政治の道具にされても当然のことに思って全然気づいてない感じ、そうね……と感慨深くなる。

そして詮子みたいに、理不尽に気づいて怒りを露わにすると、単にヒステリー(笑)で片付けられてる感とか、うわ……リアル……となる。

詮子はあの俳優さんが演じてるから、こう…まだ未熟で弱々しい女性の乱心…とかではなく、強かさもあるはずの彼女なりに色々と考え、行動した上であんなことになった…という印象を視聴者に与えられそうだなと思った。

吉田羊さんからは気や意思の強い印象を受けるし、実際詮子も気の強い女性だからこそ最後の最後まで諦めない想いがあった。

しかしそれでもあんな軽んじられた、コケにされるような仕打ちを受けてしまう……ままならなさが伝わりやすく感じる……

第五話「告白」 二月四日

あらすじ:藤原家であることを黙っていたことを謝りにくる道長、まひろは道兼との因縁を吐露する。

すごい回だった…


兼家が欣子の腹の子を呪詛するよう晴明を圧迫するシーン印象に残りまくる。


行成(書が国宝になる人)の代筆を断って自分の下手くそな字で手紙を書く道長のシーンもここだけで味わい深さが凄い……

前にまひろが代筆業やってたときの、正直に正体を明かして向き合わないと通じ合えないよという話の回収になっている…

道長とまひろの会話は、道長が抱きしめたりしないのがむしろよかったな…

抱きしめようかと思ったけど、でもそれは違うと思ったのかやらなかったの、バランス感覚が絶妙だ……あそこで抱きしめたらまひろが三郎に少し思い入れがあるのを利用して、加害者の一族を許させるみたいになっちゃうからな……

前に兼家が道兼に、毒を盛る実行犯をした女房のことを「抱いたか?」と言っていた。「自分は守られていると思わせておけば口を割らない」と。

道長はまひろにそういうことはしなかったんだ……

まひろの吐露の……今まで必死に道兼を憎み、父上を責めて、考えないようにしてたことが、道長に受け入れられたことでむしろ突っぱねの武装が解け、自分のせいだ…という感情が一気に押し寄せてしまう描写……本当凄い……そういうこと、ある……恨みだけじゃなく、まだ更にもう一層、自責の念がある…

話を聞いてもらって、それですっきり終わりとかではない…複雑な感情が幾重にも重なり合って人生に覆い被さってくる……

藤原邸に帰って道兼殴る道長。

怒るのは好きじゃないと言っていた道長の怒りをこういう形で出してくるのが……

でもその様を好意的に受け取る兼家。

兼家の息子たちに寛容、鷹揚なようでその鷹揚さが揺るぎない泰然とした強さのように感じられて何をしても無理のような無力感を感じさせるというか……まひろに責められるのにどぎまぎしている為時と大違いである……

兼家は詮子や道長が一体どういう気持ちで感情を露わにしていたのか、全く意に介さない。

なんというすごい話だ…

大河の話が本番(まさに教科書に載ってる部分)に入ってくるまでの、主人公の若い頃の話って基本的にわりと冗長になるイメージだったんだけど、作劇が大胆すぎて息つく暇もない。

今日の君へ、エンディングに『衝撃』が流れてもおかしくなかったな……誰か散らせ…



今回はここまで。
十話まで入れようと思ったけど、思っていたより長くなったので次回に続きます。

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