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能登から認知症の父がやってきた(13)

地震以来、久しぶりに都心に出た。
東日本大震災のあの日、この道は大渋滞だった。雪が舞う中、歩いて帰る人もいたし、足止めをくらって会社に泊まる人もいた。あれからもうすぐ13年。大雪の後で澄みきった青空の清々しい都会の街を歩いていても、そんな悲しい出来事を思い出してしまう。頭の片隅にいつも蜘蛛の巣が張り付いているような気分だ。

当時は、原発の問題もあったし、心配した両親がこっちに避難してこい、と言っていた。それが、逆になるなんて思いもよらなかったのだが。
姉は能登地震そのものの記憶がない、必死で逃げたところしか覚えていないと言う。母と父は居間にいて、姉は居間から離れた自分の部屋にいたそうだ。母はこたつで寝ていて、タンスが倒れたのだが、もう少しずれていたら、母の頭に直撃だったらしい。父は何も分からない様子で、耳が聞こえない母に外に出ろ!と叫び、父の車椅子を引いて庭に飛び出したそうだ。普段は折り合いが悪い母と認知症が悪化する父に「もう死んでほしい!」と愚痴っている姉だが、いざという時は助けようと必死だった。恐怖と混乱と焦り、重責でパニックだったんだろう。

今、家族4人と猫1匹。東京で大地震が来たら。。。
考えたくもないが、地震は突然やってくる。そんなことばかり考えて生きていくわけにもいかないのだが、不安がよぎる。
風呂に入るのを面倒くさがる母に「入れる時に入っておかないと」と促すと素直に入るようになった。

阪神淡路大震災も東日本大震災も、あの時はもうだめなんじゃないかと思ったし、コロナでもう人と会えなくなるんじゃないかとも思ったが、日常はいつか戻ってきた。元通りにはならないまでも、いつかも分からないが、みんなが普通に暮らせる日々が必ずやってくる、はずである。






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