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能登から認知症の父がやってきた(18)

ポリポリポリッ。
風呂から上がると、後ろを向いて小気味いい咀嚼音をたてて父が何かを食べている。まさか….

「お父さんに何かあげた?」とVosualで聞くと「あげとらん」と母。
!!!やっぱり!猫のご飯を食べていた。
狭い我が家は父が後ろを向くとキッチンで、すぐ後ろに猫のご飯が置いてある。うちの子はチョビ食いタイプなので、基本置きっぱなし。いつ食べるか分からないので隠すわけにもいかず、彼女の重要なテリトリーのひとつだから場所を変えるわけにもいかない。

断水で帰れないのは大変だけど、通院できないことをいいことに紹介状を送ってもらい、鼠径ヘルニアの手術をできずにいた母を、東京の病院に連れていった。同じ年代と思われる付き添いの人も多く、みな大変だなあ、おたくは何の病気で?と、まるで獣医に猫を連れていった時のように声をかけたくなるような様相だった。
患者が多くて、長時間待つのは能登の病院も同じだが、どの先生も診察が丁寧だと母は感心していた。付き添いも大変だが、少しでも不安を取り除いて帰っていってほしい。

帰りの電車待ちでおもむろに母が「あんたは気を使いすぎやよ。それじゃ病気になる。ゆったりとした気持ちでおらんと早死するよ」
尻拭いが多い人生なので、長生きしたいわけではないが、今までひとり気ままに生きてきたし、地震で少しでも役に立てばと思っているだけなのだが。

ただ、性格もあるだろうが、私は気にしすぎなのかもしれない。はじめて認知症の父と数ヶ月暮らしてみて、毎日驚きと、とまどいで気が気ではない。それに比べて母や姉は、けっこう父のことをほったらかしにしているし、必要以上に助け合わない。今よりもっと大変だった時期を乗り越え、長年面倒を見てきた二人が培った生きる術なのかもしれない。

突然やってきた三人に気兼ねすることもなく、ホカペでおまたをおっぴろげて寝ているうちの子を見ると、違う意味で「猫になりた〜い♪」と思う今日このごろである。


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