田根氏に疑問を持ってから、いろいろ調べていると、私から言わせると、
事実を歪曲していると思われる、ようなことがあるなと感じました。
これをどのように感じられるかは読者のそれぞれの感性にお任せします。
まず、「エストニア国立博物館」についてです。
多くの記事や紹介などで、田根氏が単独で、このエストニア国立美術館を設計した、というように受け取ってしまうように書かれています。
まず、日本語の文献だけでもわかるのが、少なくとも3人が関わっていることがわかります。
もはや、田根氏がリーダーの建築家集団であった、というようにも書いているものもあります。
ただ、冷静に考えると、いきなり26歳の日本人が欧州で建築家集団を作り、建築コンペで選ばれる、というはいささか不可解であり不思議な、唐突な印象を受けるエピソードではあります。
となると、このDGT Architects ( Dan Dorell ,Lina Ghotmeh, Tsuyoshi Tane)って、なんなんだ?という疑問を持つわけです。
そこで、気づいたことがあるのですが、「エストニア国立博物館」をいろいろと検索すると、日本語では、田根氏のインタビューが多数見つかるのですが、
「Estonian National Museum」でいろいろと英語で検索すると、「Lina Ghotmeh」氏のインタビューばかりが出てきます。
田根氏が中心であれば、英語での田根氏へのインタビューもたくさん出てくるはずです。
なぜなのか?、疑問を持っていたところ、ある人から、「DGTって、あの女性が中心のやつでしょ?」「田根さんって、あそこから追い出されたんでしょ?」という話を聞いて、さらに疑問が広がりました。どういうことなのか?
そのリナ・ゴットメ(Lina Ghotmeh)さん、に興味を持ち、引き続き調べることにしました。
このブログを読む人であれば、むむむ?、と思ってしまうキーワード
「Archeology of the future(未来の考古学)」と呼ぶ自身の方法論を通じて記憶、空間、ランドスケープといったコンセプトの研究に携わる」
が、現れましたね。
言っていることが、双方まったく噛み合っていない、ということはよく分かりますね。
ただ、私も当時のことを直接知るわけでもないので、
この「Lina Ghotmeh」さんに、直接、話を聞かせてもらうべくコンタクトをとり、彼女の考えをお伺いできました。
個人的なやりとりですので、ここにエビデンスを掲載するのは控えますが、私の受けた印象としては、話をまとめると、いい感情を田根さんに持っていない、のではと思いました。
(田根氏に疑問に持つ方は、このリナ氏に直接メールなどで連絡して、ヒヤリングすればいいのではと思います。)
このエストニア国立博物館のエピソードも1つとっても、事前に多面的に知っていれば、田根さんって有名だけど大丈夫な人なのかな?と、疑問を持っていたと思います。