たんどころとは?

こんばんは。
たんどころです。

今日は僕のことを話します。

結構おもしろい人生なので、
ひまな方は見てってください。

1989年5月
静岡県で爆誕しました。

平成になったばっかりで、
色々忙しかったころです。

僕には姉が2人います。

1人は生きている姉で、
今、静岡で社会の先生してます。

もう1人は
生まれてこれなかった姉で、
今は家族のお墓で眠ってます。

それと弟が3人、
妹が2人いて、
実は8人兄弟なんです。

僕の下は年子で、
妹、弟、弟と続いていて、
正直あんまり手をかけてもらった記憶がありません。

小さい子優先ですからね!
そこは兄の辛いところです。

小学校2年の頃、
妹が生まれる事になり、
いよいよ家庭が大変になったので、
一旦施設に預けられました。

施設で年上の人にいじめられたり、
施設の周りをぐるぐるマラソンしたり、
貼り絵をやっているうちに
妹も生まれ、家に戻ってきて、

翌年に弟が生まれて、
兄弟が手分けして寝かしつけたり、
ミルクを作ってあげたり、
保育園に送ってたりしました。

そのころから段々、
あ、うちって貧しいんだなーと感じ始めました。

服はおさがり、
おやつはなし
おこづかいも貰ったことがない。

貧乏大家族ってことで、
TVの取材を受けたことも何度もあります。

リップクリームを買って欲しいと言い出せずに、
何か月も唇がひび割れたままで生活してました。

氷で冷やすと痛みが引くんですが
学校だとそれができないので、
ずーっと手で押さえて
痛みをごまかしてました。

中学校に行くために学ランを買う必要があったのですが、
高いだろうなーとわかっていたので、
小学校のバザーで売れ残りをもらったり、

そういう感じの生活で、
お金には全く縁がなかったです。

お正月に1,000円貰って、
本を買いに行くのが、
1年で唯一自主的に買い物ができるときみたいな。

なぜか中学3年生の時、
(社長になりたい!!)
と思い始めて、
商業高校に通うことになります。

ラッキーなことに学ランだったので、
中学のをそのまま使ったのですが、

腕のところに汚れがあったので、
年中腕まくりしてました。

その癖が抜けなくて、
今でも長袖が苦手です。

高校では、運動部だとお金がかかるので、
簿記部という部活に入ったんですが、
これがまた超厳しい部活で、

月~土の21時まで部活
(定時制の人より遅く帰ってました)

大学卒業レベルの試験を目標に勉強

県大会優勝当然

みたいな部活でした。

でも幸いお金はほとんどかからず、
遠征代金は学校持ち、
遠征先で遊ぶお金も、顧問の先生が学校に交渉して全部負担してくれました。

そういう意味では、
めちゃめちゃ運がよかったですね。

ただ、年に数回、万単位でお金が必要になる合宿や遠征があり、
その時は「親戚が亡くなった」ということで、
参加せずに自宅待機してました。

顧問の先生には事情を話したんですが、
その時の恥ずかしさは、今でも忘れられないです。

でもその先生は本当に理解のある先生で、
人生で5本の指に入るくらい尊敬しています。

家の方向が近かったので、
雨で帰りが遅くなった時や、
咳が止まらなくなった時は、
家まで送ってくださったり、

僕の母親が高校2年の時に亡くなったんですが、
お昼ご飯のお弁当を作ってきてくださったり、

何より、全国大会を優勝、準優勝するレベルの高校生よりも、
簿記を勉強、研究している
めちゃめちゃ熱い先生なのです。

その先生のおかげで、高校在学中に
日商簿記検定1級という、大卒レベルの資格を取得し、
僕は公認会計士になるべく、
中央大学という、東京にある大学に行くことを決意しました。

が、しかし、
僕にセンター試験を通る頭はなかったので、
県で1人だけ受けられる推薦を使っていくことになりました。

ただしその条件が、
在学中にアルバイトすることを禁止するという
結構厳しいものでした。

そのために奨学金をいろいろなところから借りて、
何とか大学生活を送りました。

この大学生活も、超波乱万丈なんですが、
書くと飛んでもないことになるので割愛します。

あ、でも就活始まった頃に丁度3.11があり、
なんだかんだ就職が4年の12月まで決まらず、

この企業に落ちたら自殺しようと思ってました。

なんとか大学を卒業し、
社会人になったころには、
700万ちかくの奨学金の返済が待ち構えており、

これを20年かけて払うのか~
なんてのんきに考えていました。

いざ入った会社は、
建築関係の商材を扱う商社で、社員は120名ほどの、
中企業でした。

僕が最初についた仕事は、
もちろん経理のお仕事です。
部署はたったの4人。

内1人は、僕が入って2か月で定年を迎え、
大阪に帰っていきました…

そこからが僕の、人生の暗黒期(3回目くらい)ですね…!

まあ、上司とそりが合わないし、

仕事は毎月同じなのは良いんですが、
めちゃめちゃ暇なんですよね。

どれくらい暇かというと、
1日出社して、何もすることがない日が
1か月に6日はあるくらい暇です。

僕が嫌いなことは、
・じっとしていること
・自分の自由にやれないこと
・嫌いな人と付き合うこと
この3つで、

この会社の経理の仕事は、
見事この3つを満たしていました。

まずは体に症状が出ました。

僕もこういうのが出る前までは、

「うつ病wwww心が弱いやつがなるだけwwww」

とか思ってたんですが、
人間の心ってこんなにも弱くて、
人間の身体ってこんなにも嘘つけないんですね。

まずは耳鳴り、次に目まい、その次に帯状疱疹、
そして耳が遠くなり、夜眠れなくなり、些細なことでイライラしだす。

それでも僕は仕事を辞められませんでした。

奨学金の支払いが、毎月34,000円ありますから。

やめたら、人生終わるなと、はっきり思ってました。

そんな仕事を2年くらいやった時、
(もっと給料がいいところに転職しよう…)と思い立ち、
転職活動を始めます。

それにあたって、税理士の資格も取っておこうと思い、
専門学校にも通い始めます。

ですが、あまりにも甘い考えでした。
税理士って合格するまでに、大体1,300時間くらい勉強が必要で、
それまでに精神が持たなかったのです。

そこで手っ取り早く稼げる副業を検索しているときに出会ったのが、

「せどり」

見た瞬間、これはいい!!!と思いました。

せどりは僕とAmazonのやり取りだけで完結していて、

マルチみたいに、誰かに紹介するとか、誰かから紹介を受けるとか、
そういう面倒で、だまされる要素がないなと感じたのです。

その日からいろいろブログを探し始め、
クラスター長谷川さんのという方が信用できそうだったので、
教材&チャットワークに入ってみました。

もちろん、すぐは稼げませんでした。

でも始めて数か月で、ちゃんと月商が20万はこえました。

やってて楽しかったというのもありましたが、

何とかこの地獄のような生活から抜け出したかったのです。

毎日暇な時間ばかりを無為に過ごして、
手取りで163,000円、そこから奨学金の返済をすると
120,000円ちょっとしか残らない給料から、

家賃、食費、ネット、携帯、もろもろ差し引いて
最後に残る1万円で毎月遊ぶ生活から抜け出すためには、
何とかせどりで稼ぐしかなかったんです。

中古の本もやりました。
新品家電もやりました。
フィギュアも仕入しましたし、
スーパーやホームセンター、デパートなど、
とにかくどこでも行きました。

ただ、僕はお金を出すことに抵抗があったので、
教材はほとんど買いませんでした。

とにかくリサーチして、棚を見て、安全な商品を仕入れて、
一人でコツコツ頑張ってやってました。
(僕は友達が少ない系男子なのです)

せどりを始めて、6か月くらいたった時に、
会社を辞める決断をして、
年始にある上司との話し合いでついに

「会社を辞めます」

と、告げました。

ちなみにこの時、月商は80万くらいです。
月収に換算すると16万もなかったでしょう。

でも会社を辞める選択をしました。
当時の僕は、まるで念仏かの様に、

「日本で餓死することはないから~」

と頭の中でつぶやいていました。

かくして会社をやめて、自由な時間を手に入れましたが、
月商が倍、3倍になることはなく、
だらだらと生活をしていました。

人間、そんな簡単に変わりはしないのです。
甘い方向にどんどん吸い寄せられていきます。

でも、次の日を気にしなくていいという
最強の力を手に入れた僕は、
昼に起きて夜までせどりするという
自分のライフスタイルに合ったせどりを手に入れました。

ここから順調に月商が伸びてきましたが、
段々と嫌気がさしてきました。

なんでこんなに忙しいんだろう。

全然自由な生活じゃない…

店舗せどりは体が疲れる…

店舗せどりで最高月商230万円に到達したあたりから、
段々右肩下がりになり、
ついに危機感を感じた僕は電脳せどりにシフトします。

正直、電脳せどりには苦手感しかありませんでした。

PCは好きでしたけど
ヤフショとか、ヤフオクとか検索しても
全然商品みつからないですし

いざ仕入れても販売するころには
値下げ競争に巻き込まれて死亡するんでしょ…?
という謎の思い込みにとらわれてました。

でも電脳せどりしかない!
とおもい、頑張って始めたのですが、

まあ、当然大失敗です。
電脳せどりでは全くと言っていいくらい稼げず、
月商が半分以下に落ち込みました。

どーしよ…
ってなってるときに、
たまたま知り合いが売っていた
電ブレというツールに出会って、化けました。

毎日毎日ツールをいじっているうちに、
段々商品が仕入できるようになってきたんです。

あっという間に月商200万を越えて、
家のPCぽちぽちしながら、深夜にヤフオク入札して、
昼ぐらいに起きるという、

最高に堕落した生活を手に入れました!!!

その時すでに情報発信を始めていたので、
電ブレのアフィリエイトをしたら、案外沢山売れて、
そこからちゃんと情報発信にも取り組み、

せどり
情報発信の2本の柱で稼いでいくことになりました。

今ではせどりの力を弱くして、
情報発信の方で、3種類くらい別々のことをやって稼いでいます。

情報発信のことをざっくり割愛しましたが、
これもすごい大変だったんですよー

専業になって2か月後に、クリスマス商戦のセミナーと、
トレカのセミナーがあるというので、軽い気持ちで行ってみたら、
情報発信のセミナーで、

なんか面白そうだから、その日のうちに30万はらう覚悟をして、
1年くらいほとんど無報酬で(僕が悪いんですが)
なんとか電ブレで初めて稼げたっていう流れですよ。

そのあとコンサルしたり、スクールしたり、
せどり以外の情報発信をしたりで、
入塾費の20倍くらいは稼げてますが、
この過程が大変でした。

最終的に何が言いたいかというと、

僕って運がいいんだな~

っていうことと、

継続すれば勝ちだな

ということですね。

せどりも同時期に始めた人が100人くらいいましたが、
今も続いている人って、10人いればいいくらいですし、

情報発信なんて、1,000人初めて、今50人残ってるかな?
くらいですからね。

稼げない人は、諦める人と、勢いがない人です。

何か月、何年かかってもいいから、
どこかで爆発的な結果を残せるぐらい努力できない人は、
どんなところに行っても、
結果なんて出せません。

たとえで言うと、
僕は電ブレを使って稼いでいる時、

昼起きる→お金の支払い
深夜まで電ブレで仕入&案件の精査

これを週5くらいでやってました。

そこで稼げたおかげで、
電ブレも販売できたのです。

僕は、寝るな!!!!!とかいうのはとても嫌いなんですが、

稼がなければならない!!!
と本気で強く思ってるなら、
しょーもないものくらい犠牲にしろとは思います。

家族との時間
自分の時間
テレビ見る時間
ゲームする時間
会社の人と愚痴しか言わない飲み会の時間
ぼんやりしている時間
通勤時間

稼ぎたいと思うなら、
ここら辺は犠牲にしましょう。

稼いでからでもできますし、
愚痴しか言わない飲み会なんて、参加したくなくなりますから。

一瞬だけでも勢いを出して結果を出して、
後は継続さえしていれば、ライバルが勝手にいなくなって、
僕の順位が上がっていき、勝手に勝てます。

僕の下から一気に追い抜くやつもいるでしょう。
そんなの気にしなくてもいいんです。

どーせそいつらもいつかはやめます。

僕が最後に立っていれば勝ちなんです。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

完全に自分語りの日記になってしまいました(笑)

でもなんで僕がせどりを始めたのかを知ってほしかったですし、

なんで、稼ぐことができたとかとか、

なんで、今は他のことをやっているのかとかを知ってほしかったんです。

僕は最初から成功していたわけじゃありません。

沢山の失敗とか、クソみたいな環境から
頑張って這い出してきて、
なんとかほんの少し、相対的に見たらちょこっと成功したくらいです。

もちろんこれを読んでいるあなたも、
僕と同じように頑張れば成功できます。

(まあ、天井って高いんだな~って実感するんですけどね)

諦めないでください。
継続してください。
勢いよく結果を出してください。

さすれば道は開かれます。

(約6,000文字あるみたいです)

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