論文メモ 妖怪の、一つではない複数の存在論 ―妖怪研究における存在論的前提についての批判的検討―(『現代民俗学研究』第6号 2014)

廣田龍平による論文

問題設定

妖怪研究における存在論的前提の実態とその問題を考える。妖怪研究者と伝承者の間には存在論的齟齬がある。そのような齟齬は、単一の存在論ではなく複数の存在論を想定する枠組みによって解消される。

メモ

・妖怪研究における妖怪概念は、人・動植物・器物などの自然的なものに対して、妖怪や神を超自然的なものとして位置付ける存在論的な枠組みを前提としている。
・妖怪研究者は「妖怪は実在する」と考えていない。妖怪を論じた著作の多くで、妖怪は人間の想像力の産物であるという前提が確認できる。しかし、「妖怪の実在性は問題にならない」という主張もされている。こうした民俗学の妖怪研究の立場は、宗教学でいう「方法論的不可知論」と同じものである。
・妖怪研究者がこうした不可知論の立場をとるのは、人文・社会科学の一分野として、研究対象の実在性論争と距離を置くためである。しかし、妖怪研究が実在性論争の中で否定されるだろう対象を研究対象として想定してしまっているため、研究対象の実在性は問わない立場を取りながらも、実在性論争によって規定される非実在性を前提とするパラドックスが生じている。したがって妖怪研究においては超自然性と非実在性は表裏の関係にある。

・こうした妖怪概念には限界がある。マイケル・フォスターが『和漢三才図絵』における妖怪の位置付けや、キツネの項目に対する事例分析で指摘しているように、多くの時期において今超自然的なものとして扱われる事物は、自然的な事物と区別されたものとして考えられてこなかった。
・香川雅信の1990年奥能登でのカッパについてのエピソードや『遠野物語』第57話についても同様である。伝承者にとってカッパは動物の一種であり、自然的領域に位置付けられている。
・妖怪の実在を疑わないコンテクストを共有する伝承者の存在論では、超自然的領域に神仏を、自然的領域には人間や動植物と並んで「動物である妖怪」を位置付けている。

・あらゆるものを自然的領域と超自然的領域に区分する研究者と伝承者の2つの存在論は、近代以降、江戸期から大正昭和期にかけて形成されたものである。それ以前不思議、または珍しい現象は、理で説明され自然的領域に組み入れられるか、存在を否定され自然的領域から排斥されるかしかなく、超自然的領域はほとんど想定されなかった。
・このような「妖怪の近代」の以前と以後で「認識論的な切断」があり、この「切断」にきづかないまま研究者は自らの存在論的前提を、異なる前提を持つ伝承者に投影している。

・伝承者が妖怪の実在性を前提とする以上、研究者の枠組みをそのまま妖怪研究に適用することは出来ない。両者の間には齟齬がある。
・これを避けるために、従来研究者が前提としていた存在論単一ではなく、複数の存在論を想定する必要がある。

感想

今まで無自覚、かつ無批判に受け入れていたことを指摘され、目から鱗が落ちるような思い。
また「妖怪とは何か」「妖怪研究において妖怪とは何であるべきか」「妖怪研究において『妖怪』という術語をどう規定するべきか」という長年の問いに答えるための重要な視点だろう。


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