論文メモ 新田猫の生成と展開 ―養蚕業の発達と新田岩松氏の貴種性―

板橋春夫による論文。

問題設定

「新田猫」と呼ばれる猫絵が近世後期に生成される要因と、明治以降も形を変えて展開する図像の持つ意義について検討・分析を試みる。

要約

  • 新田岩松氏が四代にわたって描いた猫絵は、「万次郎の猫絵」「八方にらみの猫」「新田様の猫」などと呼ばれた。本研究ではこれらの総称として「新田猫」を用いる。

  • 新田猫は十八世紀後半に養蚕が盛んになると、鼠害に対する効能を期待されて、需要が急速に高まった。作者である新田岩松氏は「猫絵の殿様」と呼ばれるようになる。

  • 新田岩松氏四代が描いた猫絵や、その後作られた贋作や偽物などについて、「新田猫」「類縁的新田猫」「印刷猫絵」という定義を与えた。

    • 新田岩松氏が描いた猫絵は、「新田岩松の殿様が描いた猫絵」という意味で「新田猫」と認識されていた。これらの猫絵は、類似する猫絵が多数存在することを考慮すれば、厳密には「岩松系新田猫」となるが、混乱を避けるために「新田猫」と定義する。

    • 近世後期から明治期にかけて、新田猫の評判にあやかって類似の猫絵が出回るようになる。これらの猫絵は新田猫と同じく鼠除け標榜しており、それを信じる人々にとっては、その猫絵が本来の新田猫とは異なっていたとしても本物であると言える。①作為の可能性がある類似の猫絵、②作者が新田岩松氏ではない可能性が高い猫絵、③新田由良氏の描いた猫絵について、包含して「類縁的新田猫」と定義する。

    • 明治期以降の養蚕業発展に伴い、印刷された猫絵が多数出回るようになる。これらは新田岩松氏が直接発行したものではなく、しかもその図像の多くは新田猫にあやかっていることを明記したり、自ら偽物であることを暗示したりしている。これらについては「印刷猫絵」と定義し、あえて新田猫の文字を用いないことにする。

  • 養蚕業は天候の影響や蚕の病気など、様々な問題と隣り合わせであり、投機性を伴う。中でも蚕が鼠に食べられてしまうため、鼠は養蚕飼育において大変恐ろしい存在であり、鼠の天敵である猫は大事にされた。

  • 生きた猫を飼うという直接的な対策の他に、蛇や猫のお札、猫石と呼ばれる小石などを神社から借りてくるといったような対策も行われた。生きた猫の飼育は実効性があり、猫石は丸石であり、生きた猫ではないので実践的即効性はなく呪術的表象に留まる。新田猫も同様だが、猫石よりは視覚的に生きた猫に近づく。

  • 新田岩松氏は、新田義貞の末裔とされ、血筋には貴種性がある。また、新田岩松氏の歴代当主は、神号額の染筆や石造物に刻む文字の揮毫を依頼されたり、狐憑きや疱瘡のまじないをするなど、呪術を司る中世領主の姿を濃厚に残している。この呪術性と、養蚕が発達し、猫絵の需要が高まった時流を背景として、新田岩松氏は猫絵を描くようになり、「猫絵の殿様」と称されるようになる。

  • 新田義貞の子義宗の守り本尊とされる埼玉県所沢市の薬王寺の鼠薬師の由来譚では、新田家の戦死者たちの怨霊が鼠となって作物に害なすので、鎮めるために鼠薬師を祀ったとされる。この鼠薬師の信仰と猫絵を鼠除けとする発想は、新田岩松氏の貴種性と呪術性を長く存続させ、新田猫の生成の要因となった。

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