論文メモ シャーマン=狩人としての動物 ――世間話における妖狐譚を構造分析する

廣田龍平による論文。

問題設定

近現代日本の説話について、民俗誌的な調査によって得られた民間説話というかたちで範囲を限定するならば、キツネの話の数は明らかに群を抜いて多い。事例は豊富ながら、キツネについての研究はそれほど進んでいない。これら宇宙論、存在論はどのような枠組みによって捉えるべきなのだろうか。ヒトと動物の関係性という観点から、妖力はどのように理解することができるのだろうか。こうした問いを、近年の文化人類学におけるアニミズム概念を応用し、アニミズムが支配的な国外の諸社会と比較することにより、構造的・共時的に検討する。

メモ

  • アニミズムとパースペクティヴィズムという二つの理論的枠組みを用いる。

  • 資料としては、松谷みよ子編纂の『狐をめぐる世間話』、『日本昔話体系 第七巻』の第十五章「人と狐」を利用した。

  • また、それぞれの資料について、主題ごとの分布や話数は重視しない。本稿の目的にとって必要なのは、国内での比較分析ではなく、説話を総合的に抽象化したときに現れる、ヒトとキツネ、身体と霊魂といった諸関係の一般化であるからである。

  • 「化ける」は、狩猟アニミズムにおいて狩人やシャーマンが動物に変身することの対称的反転である。自己の形態を「衣服」によって変化させ、人間に見えるようになる。

  • 「化かす」は、狩猟アニミズムなおいて精霊やシャーマンが異類の観点を操作することと同等である。

  • 狩猟アニミズム世界において動物は「衣服」を脱いで人間に変身することが多いが、日本においてヒトは原初的身体ではないので、妖狐譚ではキツネは「衣服」を着ることによって人間に変身する。着ることによる変身と観点の操作は、狩猟アニミズムにおいてはヒトに帰属する能力であるが、妖狐譚では動物に帰属している。

  • 狩猟アニミズムとは相容れない憑依現象は、妖狐譚ではよく知られる。そのため日本では、狩猟アニミズム的な変身するキツネと、アナロジズム的な憑霊されるシャーマンというかたちで、二つの存在論自体が対称的に現れている。

  • なぜ狩猟アニミズムと日本の妖狐譚が、ヒトとキツネを対称的に反転させた構造関係になっているのかについて、本稿では明らかにすることができていない。通時的な比較が必要。

感想

こういう人類学的な分析概念・学術用語は慣れてないので、読むのにもたついてしまった。

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