論文メモ 記紀神話における性器の描写―描かれたホトと描かれなかったハゼ―

深沢佳那子による論文。

問題設定

女性器は記紀神話に幾度も登場する要素である。しかしその一方で、男性器が登場する神話というのは何故かひとつも存在しない。この不自然な差は何故生じたのであろうか。神話における性器描写について改めて描写したい。

要約

  • イザナミがカグツチを生む説話、オホゲツヒメ・ウケモチ神の物語、ヤマトトヒモモソヒメの死にまつわる箸墓伝承、天岩屋戸神話におけるハタオリヒメ殺害の場面においては、ホトは「生」の象徴ではなく、女性の「死」のモチーフとして描かれている。ホトが女性の象徴と見做され、同時に女性の神聖性をそこに認めるために、逆にホトが破壊されることによって、単なる「死」ではなく、女性性やその神聖性が否定されたマイナスな意味を含む「死」が表現されている。

  • セヤダタラヒメが登場する丹塗矢伝承は、単純に出産の機能を司る身体の一部分としてのホトを描いたものである。ここでは前述の神話郡で逆説的に語られてきた女神のホトに宿る神聖性は汲み取ることが出来ない。このように「生」と関わるはずのホトだからこそ、相反する「死」を表現するときに破壊されるという描写が用いられるのだろう。

  • 天岩屋戸神話におけるアメノウズメが舞踊する場面においては、「女性性の象徴」を超越してホトの持つ神聖性が強調されている。他の神話と比して、生殖と出産という本来の機能を保持したまま、もっと儀式的・神話的に昇華させたものだ。ここには男性中心社会が持つ女性性に対する期待も見え隠れする。

  • これら神話に登場するホトの意義とは、女性性や女性の神聖性の象徴であった。そしてホトが保持している生産性という側面が生と直結しているが故に、その破壊によって死を表す神話が生まれたのだと考えられる。ホト神話の背景には、古代の男性中心社会で築かれた、ホトに女性の神聖性が宿るとする信仰があった。

  • 記紀神話においてはハゼ、つまり男性器が登場する神話は見られない。しかし、縄文時代以降には石棒などの造形品を用いた信仰が確認されている。神話描写と形象文化に差異が生じているのは何故か。

    • これはすなわち、ハゼが「男神」や「男性」を象徴するものではなかったかからではないか。ハゼはハゼそのものとして「活力の象徴」であって、「男性の持つ活力」ではなかった。男根崇拝は男性崇拝とイコールではなかったと考えられる。だからこそハゼは身体の一部という概念から離脱し、丹塗矢伝承のように男神の身体から独立した象徴として描写される。

  • 一方縄文時代以降の形象文化において豊饒性や生産性を見出され地母神として信仰されるのはホトではなく妊娠や母乳などを伴う母体そのものであった。そして神話においてホトは、生産性を表現するのではなく、女性性及びその神聖性の象徴として、それを否定するための「破壊される装置」として機能し、多く描写されるに至った。

  • 神話に描かれたホトと描かれなかったハゼは一括りに出来るものではなく、その背景にはそれぞれ全く異なる思想が投影されている。

感想

女性器は女性の象徴ではあるが、男性器は男性の象徴ではなかった、というのは直感的には分かりづらいところ。

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