論文メモ 神功皇后をめぐる水の伝承と、その信仰 ―武雄温泉春まつりを中心に―

福西大輔による論文。

問題設定

八幡宮は日本に数万社あるといわれ、その八幡宮には応神天皇とともにその母神である神功皇后が祀られていることが多い。『古事記』や『日本書紀』などに見える三韓征伐やそれに際しての応神天皇の出産譚から、神功皇后は戦勝祈願の対象であり、産育祈願の対象としても知られる。
 子どもにとっての産湯は、この世に来たばかりの赤ん坊の「あの世の汚れをも含めて赤ん坊にまつわる産穢のすべてを洗い流す」禊の水であると本田和子は言い、禊に使った産湯は穢れた存在だと認識されてきた。その一方で、貴人が使用した産湯を神聖視するものもあり、それをの産湯は安産祈願の対象となってきた。この産湯の持つ二面性について、神功皇后と水の信仰の関りを通して考えてみたい。

要約

  • 神功皇后が征途に際して顔を洗い、顔を疣で覆い変化させ、三韓征伐後はもとの美しい顔に戻したという大阪府茨木市の磯良神社の「玉の井」と呼ばれる井戸の伝承や、神功皇后が長旅の途中で化粧を直した福岡県北九州市若松区の紅影池、鎧を井戸の水に浸して戦勝を占った福岡県糸島市大門の染井神社など、三韓征伐に関係した水の伝承は戦勝祈願に関わったものや女性が戦うということを意識したものが多い。こうした伝承を背景に、戦いによる汚れを禊で祓うイメージを通して神功皇后と水の信仰が関連づいたと考えられる。言い換えれば、古来よりの水の女神が神功皇后のイメージに集約されていったと捉えることもできる。

  • 愛知県知多市八幡新町の神功皇后社にある皇后の井や、京都府京都市伏見区にある御香宮では、神功皇后そのものに関する伝承がなく、水の神として最初から神功皇后が祀られている。これらは宗教関係者の関与によって持ち込まれた神功皇后の信仰だといえる。こうした人々の存在が、神功皇后信仰と水の伝承を広げた要因の一つとなった。

  • 一般に産湯は、出産の穢れと同等に穢れたものともされる。確かに神功皇后が胞衣を洗い、以来河原の石に血がついて赤くなるとされる、熊本県美里町中小路にある胞衣川水源や、長崎県壱岐市の赤瀬鼻の同様の伝承などでは、産湯の血のイメージ、穢れのイメージも残っている。

  • 一方、和歌山県日高郡日高町の産湯八幡社の社伝や、福岡県飯塚市の大分八幡宮の伝承など、応神天皇の産湯が神聖なものとして受け止められている事例もある。これらの要因としては、応神天皇が胎中天皇ともいわれ、生まれる前から聖なる存在であったことや、応神天皇の産湯の多くが、突如湧き出したとされ、折口信夫の言うような他界から流出する聖なる水のイメージが強かったことなどが考えられる。応神天皇が生前から特別な存在だったことについては、しばしば異常誕生譚が語られるように、他の多くの貴人にも共通していると考えられる。これらのことが産湯の持つ二面性を生み出していったのだと思われる。

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