読書メモ 妖怪文化の変遷 ─江戸から明治へと移り行くなかで─

湯本豪一による講演録。

2021年10月24日(日)に井上円了哲学センター開設記念講演会として東洋大学白山キャンパス125記念ホールで行われた講演の記録。

要約

  • 井上円了は仏教哲学者、教育者としてだけでなく、妖怪学の祖としても知られている。円了が活躍した時代は妖怪文化の激変期でもあった。

  • 妖怪は自然に対する畏怖や心の不安などから想像を逞しくした人々によって想像されたといわれる。やがて人々は妖怪を視覚化して捉えようとし、妖怪絵が描かれるようになる。

  • 土蜘蛛草子絵巻、付喪神絵巻などいずれも人との関わりのなかで妖怪は描かれている。いっぽう百鬼夜行絵巻は人の姿も気配もない妖怪だけの世界を表現した作品であり、幾多の妖怪絵に大きな影響を与えていった。

  • さらに妖怪図鑑的な絵巻、化物嫁入絵巻、神農化物退治絵巻など、豊かな妖怪絵巻の世界が展開されていった。

  • いっぽうで木版印刷の発達によって錦絵や版本が隆盛となる。こうしたなかで、それらに幾多の妖怪が登場し、子共にも愛されるような親しみやすい妖怪絵も多数描かれていった。

  • 錦絵や版本、加えて瓦版やチラシなどにも妖怪は登場しており、木版印刷の発展は妖怪文化の広がりに直結している。

  • さらに、妖怪は紙ベースの媒体のなかに留まらず、根付、印籠、キセルや煙草入れ、皿や花瓶などの焼物、着物や帯、鍔や小柄といった武具にまでデザインされていった。日常的に身に着けたり携帯したりするこれらからは、人々が畏怖する存在としての妖怪という意識から脱却していることがみてとれる。かくて江戸末期には妖怪文化は爛熟期といっても過言でない状況が展開されていった。

  • こうしたなかで、時代は明治維新という歴史的な変革期を迎える。文明開化が叫ばれ、合理的思想や科学的知識が急速に広がり、妖怪のような荒唐無稽な非科学的事象は消滅するかに思われた。しかし、絵巻や錦絵が衰退する中で意外にも新聞という新しい媒体に妖怪は住処を見つけた。

  • 新聞は北海道から沖縄まで全国でつぎつぎに創刊され、江戸時代には想像もできなかったほどの情報社会をつくりあげていった。情報が広く共有される環境は妖怪たちには願ってもない状況で、自分たちの存在を社会に浸透される格好の機会を与えていた。

  • 明治時代には、近代化と相反するようにして江戸時代以上に妖怪たちが跳梁跋扈するフィールドがつくられていた。百物語会のような怪談話をする催しが江戸時代以上に流行したのもその一端を示す事象といえる。

  • 明治時代の妖怪事情は、新聞以外にもインターネット、テレビ、ラジオなど情報ツールの発展した現代社会における怪異情報の拡散という事象に直結するきわめて重要な出来事なのである。


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