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第2章 ヴィパッサナー瞑想ではないもの(6)

こちらのnoteでは、17時30分から15分間、ClubhouseでMBSRトレイニーが読書会を行っている内容をシェアしております。

誤解6
瞑想は聖者や僧侶だけがおこなうものであり、一般の人がおこなうものではない

聖者の多くが瞑想しているということは事実。ですが、実は、瞑想しているから聖者になるのです。瞑想は聖者に至るための方法。彼らは聖者になる前から瞑想を始めていたのであり、瞑想していなければ聖者にならなかったはずです。これは大事なことです。

そして、瞑想を通して心を制御すること。

仏教の瞑想に欠かすことのできない要素が三つあります。道徳(戒律)・集中・智慧です。この三つの要素は、瞑想が進むにつれ一緒に成長していきます。それぞれの要素が別の要素に影響し合い、そうやって別々にではなく三つが一緒に育っていくのです。

古代の聖人は、「何もしないでただ待っている人は海で木よくするために波が静まるのを待っているようなものだ」といいます。

道徳にはレベルが三つあります。
一つめは一番低いレベル…他の人が決めたルールや規則に従うこと。
二つめのレベルは…棒で叩く人がいなくても自分で規則に従うこと。
三つめのレベルは…道徳というより倫理。このレベルにある人は、気づきと智慧、慈悲が示す道に従います。このレベルにある人は、主観を抜けだし、状況を全体的に客観的に観察し、自己中心的な自己から離れていなければなりません。それがヴィパッサナー瞑想で培われるのです。

一見すると絶対に解決できない問題に出会ったとき、例えば、目の前のお皿を洗うことに集中していた瞬間、パッと答えが閃いた時のように、直観が湧いてくるのは、思考を問題からはずし、心の深層部に問題を解決させる機会を与えるときだけです。ヴィパッサナーによって、思考から離れる方法を身につけることができるのです。

ヴィパッサナーはエゴから抜け出る心の技であり、日々の生活において非常に役立つものです。ヴィパッサナーは明らかに苦行者や出家者だけに限られたものではなく、すべての人に関係があるものです。

心のゴミの問題を解決した後に、大天使の声(好ましい結果)は先になります。



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