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2002ぐらいの話。

あんなに一生懸命に作ったMDは何処にいったのだろう。MDウォークマンをどうやって手にいれたのか、覚えていない。当時一台一万円以上したから、わりと頑張って買ったように思う。何がすごいって音楽が好きとかではなく何となくカッコいいから。ゲームから脱皮して音楽に移行するのがカッコいいから。第三部のラストでジョセフ・ジョースターがカセットだけれどウォークマンを誉めていたから。なんだかシールを貼って曲名を書けるけれども字が汚いからダサくなるからと書かずに色でどれがどれか、覚えていた。

MDウォークマンをして、自転車に乗る。その間だけ無敵な気がしていた。

塾の帰りにMDとビデオテープを100Yenショップ買って帰っていた。3倍で録画する。お笑い番組を録っていた。

当時、好きだったクラスメイトがミスドでシナモンを頼む事を皆にヤイヤイされていた。ポン・デ・リングが出たての頃。シナモンがなにかもわからないけれど、塾の前に一人でミスドに行って食べてみたけれど良さがわからずに悔しかった。

塾に行く時に夕飯代として500円を貰っていた。塾の近くのスーパーで300円の弁当とリプトンを買うか、コンビニでおにぎり三つ買うか。残りを貯めてジョジョを少しずつ集めた。中古で最初は150円で集められていたけれど急激にジョジョ人気が再加熱した時期(プレステやアーケードのゲームがヒットした)で集めにくくなって五部は新刊も交えて揃えていた。

MDに何を入れたらいいかわからずに友達とCDを貸し借りして曲を入れていた。YouTubeもサブスクもない時代。ポルノグラフィティと尾崎豊と島谷ひとみを聞いていた。なんで島谷ひとみを持っていたのか良く覚えていない。ペルセウス。どうにかしてこれに漫才やコントを入れられないかと苦戦していた。

塾はあまり楽しくなかった。全然勉強についていけてなかった。そのひとつひとつが理解できないというよりスタミナとかタフさがなかった。何より受験というプレッシャーがしんどかったように思う。公立なのに全国的にも偏差値が高いという訳のわからない中学と地域性も息苦しかった。どうせお笑いの養成所に行くのになと決めている上でまんまとそれを言い訳をしていた。じゃあしなければ良い。嫌でも。そんな感じに。

MDウォークマンは充電式ではなく電池式だったように思う。燃費が悪い。訳がわからないがそれもカッコいいと思っていた。

帰宅の際は家が丘の上だから、どのルートにしろ坂を登らなくてはならない。塾でボロボロの小テスト。どうせ一番良い学校にはいけない。そもそも何処にいきたいもなにも見分けがついていない。でもどの学校が良いかが数字と外観以外わからない、判別できない。丘の上に上がるルートでむやみに一番時間のかかる遠いルートを選んで、用もないのに100Yenショップに寄って亜麻色の髪の乙女を聴いていた。

何がカッコいいのかも、自分がどうして受験するのかも、したくないのかも。何もわからなかったけれど早くも行き詰まっていて、何となくMDウォークマンに救われていた。

塾で良く話しかけてくれていた友達はどこで何をしてるんだろうか。