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1分ミッション

あけましておめでとうございます。

実はこの話には続きがあって、

今年もよろしくお願いします。


Twitterにも書いたが年が明けて新バンドの告知やら色々やる事があったため、というかそんな風にカッコつけた言い方をしなくても普段から郵便受けを全く見ないため昔大変お世話になった先輩から届いていた年賀状に最近気がついて非常に焦った。学校や音楽関係の先輩ではなく所謂元バイト先の先輩というやつである。


18歳のころ某レンタルショップで人生初のアルバイトを始めた。これがまた雰囲気のいい店で、家からも近く、客としても中学生時分から足繁く通った勝手知ったる場所だったので労働の「ろ」の字も知らないゆとり小僧がヌルッとなんちゃって経済活動に踏み入るには実にうってつけの環境だった。

そもそも当時の俺は(今もどうか分からんが)大人しそうな容姿に反して言動が生意気で、且つそれがユーモアの真髄だと思い込んでいるタチの悪い根暗であったことからバイトの面接を受けてもまったく受からず、自分を不採用にした店が家事で全焼した暁には真っ先に放火犯だと疑われるほどの説得力を醸し出していたため、このレンタルショップにも友人の紹介でなんとか面接まで漕ぎ着けた次第である。

【参考】

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さて、レンタルショップの面接当日、事務所に行くとバイト上がりの雇われ店長(当時26歳、めちゃくちゃ優しい)が対応してくれた。

「自分の長所はどんなところだと思いますか?」

という至極あり触れた問いに対し、友人の紹介だから仮に全編黙り込んでいたとしてもまあ落ちることはあるまいと極度にタカを括って面接に臨んだ俺は目を泳がせに泳がせて

「まあ、真面目でひたむきな性格なので、非行とかには絶対走らないんじゃないですかね」(原文ママ)

と、氷をお湯で煮込んだら出来たみたいな激ショボ回答を返してしまった。

手応えもクソも無いまま事務所を後にし、「あれ?ひょっとしてここも落ちるんか…?」と数日間不安に苛まれた俺だったが、のちにその面接の様子を店長から聞いて「そいつ絶対うちに入れましょう」と言ってくれたのが件の先輩(以下: Nさん)である。


Nさんの粋な計らいにより無事にレンタルショップ店員となった俺は、大方の予想通りあんまり仕事ができなかったため、普通はCDを主に担当する「サウンド班」か、DVDを主に担当する「映像班」のどちらかに振り分けられるスタッフの中で「アダルト班」という謎の僻地に飛ばされることとなった。

「アダルト班」というのは「サウンド班」、「映像班」のどちらの仕事も極めたNさんが独自に生み出したアダルトDVD売り場を好きなように設計できる特別な班だった。そう、Nさんはめちゃくちゃ仕事ができる変態だったのである。加えてものすごくイケメンだったので俺は採用可否の際の恩もあり、とにかくこの人についていこうと強烈に憧れた。(ちなみにNさんはここまで店舗の実権を握っているが、肩書きはただのバイトである)

「いいか、遼。客なんか待たせてなんぼやぞ。」とNさんは本当かどうか定かではない仕事の流儀を常々教えてくれた。

正義感が異常に強いため、放っておいたらややこしいおっさん客とすぐ喧嘩を始めるNさんを店長も含めた店中のスタッフが信頼と多少の心配が入り混じった歪な笑顔で見守っている非常にアットホームな職場だった。店長優しすぎる。元気かな。

まあNさんの血の気の多さはさておきレンタルショップというのは商売の性質上、とてもクレームが多い。中でもダントツで多いのは「この借りたDVD再生出来へんかってんけどどないしてくれるん?」という類のやつである。初めはそういったクレームの多い業務内容に戸惑っていた俺もNさんの下で働く事で段々肩の力が抜けて、いい意味で、あくまでいい意味で客をナメられるようになった。当時俺の同い年や一個下のバイトはほぼ全員がNさんの教えを乞うていたため、店全体がそういったある種ふてぶてしい礼儀正しさというものを纏うようになっていった。俺も一年も経つと、90歳のおじいさんがアダルトDVDを10枚レジに持って来て「男はいくつになってもスケベや」と言い放っても(誰も聞いてへんがな…)という言葉をグッと飲み込み、「誰も聞いてないですよ」と笑顔で伝えることができるようになった。敬語に勝る敬意は無い。


そういった、良きバイトリーダーと心優しい店長がいる店は当然スタッフ同士の仲がめちゃくちゃ良好になる。営業が夜の0時に終わると店の外からは見られないようにシャッターを下ろし、店内BGMを売り場のCDから5枚選び(CD5枚全曲をシャッフルできる無駄に高性能なプレイヤーが備え付けられていた)、それらを店の四方八方にあるスピーカーから爆音で掛けながら好きなアニメや映画、音楽について朝まで話す、という飲み会を何度も開催した。本部にバレたら確実に怒られるような所業だったが、そこも店長は快く許してくれた。元気かな。


この頃はもうバイトに行くのが楽しみで仕方なかった。就職が決まり、店を辞めることになったスタッフには全員でビデオレターを送るというもはや気持ち悪いほどの仲になっており、またそこから自分達で映像を作る楽しみを覚え、何本か思い出の作品もDVDとして残してある。うろ覚えの記憶の中で各々がエヴァンゲリオンの名シーンを演じる「チャバンゲリオン」はその代表作である。

俺は同い年のスタッフと2人で

「In this case…コウイウ時〜、ドンナ顔シタラエエカ、ワカラヘンネン!」

とアメリカ人訛りの関西弁を話す綾波レイを

「笑エヴァ、エエト思ウ〜ヨ」

とアメリカ人訛りの関西弁を話す碇シンジが慰めるという怪演を披露した。いまだに大好きな映像である。



とまぁ、話せばキリがないほどの思い出に溢れたそんな最高な職場もレンタル業界が配信ブームに押される昨今の流れにあえなく敗れ、割とあっさり閉店した。閉店の報せを聞いた時「そんな!?こんなに客が来なくて暇ないい店なのに!」と全スタッフが嘆いたことは記憶に新しい。でもまあ潰れるもんは仕方ない。みんな強く生きようぜ、ということで店は爆散。なんか今は車屋さんになった。


労働はクソだ!と言いたくなる御仁の気持ちは切実だろうが、就職したことがない俺にとって労働とはアルバイトであり、そんな風な思い出しかない非常に尊ぶべき時間であった。入口を作ってくれたNさんには感謝しかない。何が言いたいかというと年賀状ってどこで買ったらいいんですか?もう売ってませんか。このnoteをNさんに送ればいいですか。

何にせよ久々に思い出してまたあの店で働きたくなった。今のところ非行には走らずに済んでいる。



【追伸】

当時の同僚とはいまだに毎月のように集まって遊んでいる。昨年の年末など生まれて初めて合コンに誘われたのにそれを蹴ってこいつらと桃鉄をしに地元へ帰った。その中に最近猛烈に彼女が欲しいと豪語している奴がいて「お前、頭がおかしいのか。」と言われた。

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