【精神科病院】初入院の経緯
こんにちは、たななこんぶです。
今回は、なぜ精神科病院に入院することになったのか? についてお伝えしたいと思います。
笑えない、至って真面目なお話です。
1. 処方薬でODする
結論の通り、理由は簡単、
・私としては、薬を多量摂取して死んでしまいたいくらいしんどかったから、
・医療従事者側として、このまま放置しておくのは危険と判断し、身の安全の確保のために入院を奨めなければならなかったから、
です。
補足: 私なりのODと巷のOD
ちなみに、この時の私のODと、トー横などのように巷で取り上げられているODとを、
区別する注意書きをしておく必要があります。
どんなODも、命の危険を伴うので、見逃される行為ではありません。
しかしながら、私のODは小規模というべきか、巷のODと異なる点がありました。
①多量摂取した当時、「OD」という言葉を知らなかった
今でこそ「OD」、「若者間で問題になっている」と認知していますが、
当時の私はそれを検索した上で実行したのではありません。
偶然、死にたい気持ちが高まっている時に、“この薬全部飲んだら…?”という衝動に駆られたまでです。
②市販薬を購入すらしていない
巷で問題となっているODの特徴は、ドラッグストアをはしごして、風邪薬を大量購入→実行という点が挙げられると思います。
ですが私の場合、ドラッグストアすら行っておらず、病院で処方された量の薬しか手元にありませんでした。
①、②を留意した上で、読み進めていただきたいと思います。
2. 死にたい(しんどい)気持ち=悩み事山積み
当時の私は、母校の大学で事務補助をして働いていました。
私の初めての就労先で、さらに絞り込めばクローズド就労していました。
振り返れば、しんどい気持ちが徐々に増えていったと思います。
勤務して2日目。zoom会議にて。私の自己紹介より先に重要連絡事項のお知らせ。
職場の組織チームが来年度、組織改編されることを知らされました。
つまり、2日目にして、私の仕事がなくなるかもしれない、と告げられたのです。
そりゃあ不安になるでしょ!
どのように改編するのか、何も決まっていませんでした。
私は、事務の「補助」なので、中核から決定することを考えれば、最後の最後にどうするのか決められる立場でした。
それでも半年以上は普通にこなしていったと思います。
ところが時々、それが次第に頻繁に、大学の敷地内までは出かけても、自分のデスクに行けなくなりました。(他にも問題行動はたくさんありました)
“迷惑かけている” そういう自覚がありました。
それがいつのまにか、「死ぬしかない」と思考が変化していったのですから恐ろしいものです。
3. 不安・抑うつは知っていたけれど
初診のクリニックでは、「混合性不安抑うつ障害」と診断されていました。
それが訳あって転院を繰り返すというエネルギー消耗、
前のクリニックで無理やり検査させられて挙げ句「発達障害」と言われる葛藤。
仕事以外の面でも悩みが尽きませんでした。
不安や抑うつから消えてしまいたいと思ったことはあったけど、実行した時は衝動そこものなので、
まさか本当にするなんて、と思うのが正直なところです。
4. 今回のまとめ
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
たななこんぶ
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