駄文毎夜240508「記念日」
──今日は何の日だと思う?
もし俺に彼女がいて、こんな質問をされようものならあっという間に彼女の機嫌が悪くなるだろう。いや、すでに悪い状態かもしれない。
毎日家にこもり絵をかいて、たまに外に出たと思えば絵に使えそうな景色の写真を撮り、そそくさと家に帰る。そして、たまにわけのわからん現象に巻き込まれる。こんな日々を繰り返しているうちに、暦に関する感覚がかなり麻痺してしまった。
だから聞かれても、平日なのか休日なのか何日なのか何曜日なのかなんてことはすぐに答えられない。ましてや何の日なのかなんてけんとうもつかない。多分誕生日だっけ?と質問に質問を返す愚行をしてしまうだろう。
ただ今日に限っては違う。なんせ木月月夏の新作小説の発売日なのだから。
──まあ、彼女の何の日だと思う?という質問に小説の発売日なんて答えた日には彼女はただの知り合いになってしまうかもしれないけどね。
そんな存在しない彼女のことを考えているうちに、書店にたどりついた。
さびれた商店街の一角にある本屋。外にむき出しになっている本棚には古本が並んでおり、いつもならこの若干色褪せた古本をいくつか手に取ってレジに向かうのだが、今日は違う。そのまま本棚に挟まれた狭い通路を抜けてレジに向かった。
「すいませーん。予約していた本を購入しに来たんですがー」
レジに誰もいなかったので、若干声を張ってレジの奥にかかった暖簾のさらに奥に居るであろう人物に用件を伝える。
「はいはい、予約の方ね。どちら様……あー!柳さんね」
暖簾の奥から出てきた店主はこちらを見てすぐに状況を察したらしく、レジの横の棚から本を一冊引っ張り出した。
「木月月夏の連続怪談事件、1300円ね」
店主は、何も言わずとも慣れた手つきでブックカバーをつけ始める。
俺もそのまま1300円をトレーに置いた。
「俺以外に予約してる人とかいるんですか?」
「ま、たまにね、よし!」
ブックカバーを手際よくつけ終えた店主はパンパンと軽く表紙側をたたいて本を受け渡す。いつもの癖だ。
「ありがとうございます」
「まいど!またよろしく!」
本を受け取った俺は、若干早足になりながら帰路に就く。
ただ徒歩20分の道のりは、今の俺には長すぎた。
新作の小説という誘惑を目の前にした俺は、家まで待つことができず商店街の喫茶店に入ってしまった。
普段ならお金を渋って絶対に一人で喫茶店なんか入らない。しかし今日はわけが違う。特別な日なのだ。仕方ない。そうやって自分に言い聞かせる。
平日だからか店内は空いており、一番近いテーブル席へ案内された。
席につき注文を済ませ、直ぐに本を開いた。
目次、次にタイトル、とページをめくり1行目を読み始める。その時。
「相席いいかな」
聞き慣れた女性の声がした。
顔を上げると眼鏡をかけた見慣れた顔がそこにあった。
「お前はいつも急に現れるな」
「たまたまさ、散歩をしていたら君が珍しく綺麗なブックカバーのついた本を持って1人で喫茶店にいるもんだから、思わず私も店にはいってしまってね」
そういいながら彼女は対面に座る。
ニヤニヤとした顔でいつも色んなことを見透かすように見てくるので彼女のことは苦手だ。
「ちなみに本が1冊万引きされると、そのマイナス分を取り返すには同じ本を5冊以上売らないと行けないらしいよ」
「俺は貧乏だが、この本はちゃんと買ったぞ」
「もちろん信じてるさ、今日が木月月夏先生の新作小説の発売日なのも君が木月月夏作品に目がないことも知ってるし、そのきれいなブックカバーはここらへんじゃ商店街の本屋でしか取り扱っていない。それに本屋の店主と君は顔見知りだ。疑いようがない……でも、物事に絶対はないからね」
俺はなぜか固唾をのんだ。
「今日は探偵ごっこか? ただ残念ながら代金はちゃーんと払ってるからな」
「証拠は?」
彼女はほほ笑みの表情を崩すことなくすぐに詰めてきた。
確かに領収書なんてもらってない。いつもの流れで料金をトレーにおいてそのまま商品を受け取って店を後にした。
──どうしたものか。
うーんと唸りながら天井を見上げると、視界の端にあるものが見えた。
俺はそれを指さす。
「探偵さん監視カメラがあるよ」
「そうだね。もちろんあの本屋にも監視カメラはついてる。ただしダミーのものがね」
「はい?」
「今ついてるカメラはダミーなんだよ、一週間ほど前に壊れてしまったらしくてね。私が昨日つけた。本物は私の家で修理中だ」
いよいよ打てる手がなくなってきたな。まるで彼女の掌の上だ。こうなってくるとほほ笑みの表情から若干の圧を感じてくる。
「そもそも確かにレシートがないから購入した証明はできないが、カメラもなく俺以外に客もおらず誰も見ていないんだから万引きしたという証拠もない……」
そこまで言って一人思い出した。確実に取引の現場を見ている人間が一人いるのだ。
「店主……店主に聞けば一発だ!物的証拠はなくとも確かな証人だ!」
探偵ごっこはおしまいだと言わんばかりに突きつけてやった。
これが裁判をもとにしたゲームなら画面に大きな吹き出しと赤文字が出ているだろう。
ただ彼女の表情が変わることはなかった。
「まだまだ甘いねー。私が店主の通報を受けて来たと言ったらどうするんだい?」
「もしそうなら詰みだね、ありえないけど」
この期に及んでこの眼鏡の似非探偵は何を言っているのか。
「さっきも言ったけど、この世に絶対はないんだよ。店主が正しい証言をしてくれるとは限らない。誰かに脅されてるかもしれないし、賄賂を渡されているかもしれない」
「そんなの屁理屈だろ」
「でももし本当にそうなら君は万引き犯に仕立て上げられたちゃうけどね」
そういって彼女はまっすぐにこちらを見る。
これだ、たまに彼女の出す圧みたいなものに毎回気圧される。
はたから聞けば子供の詭弁みたいなものなのに、反論の言葉が見つからずに変な間が生まれた。
「……」
「こちらアイスコーヒーのブラックととミックスジュースになります」
タイミングを見計らったように、飲み物が来た。
「……ありがとうございます」
「ごゆっくりどうぞー」
店員がテーブルから離れ、俺はアイスコーヒーに手を付けた。
「ま、今日のところはここまでにしようかな、十分に楽しめたよ。ドリンクも来たことだしこれ以上君の読書の時間を奪うのも申し訳ないしね」
そういって彼女は席を立つ、ミックスジュースはすでに空になっていた。
いつの間に注文していつの間に飲んだのだろうか。やはり妖怪の類か。
目の前のミックスジュース消失マジックに気を取られていると、彼女はすでに店の出入り口の手前に立っており、こちらに振り向いた。
「ごちそうさま、それと今日は万引き防止の日だよ」
そうなのか。もし存在しない彼女に今日は何の日か聞かれたらそう答えることにしよう。
多分彼女から知り合いになるけど。
「ごちそうさま?」
机の上を見るとミックスジュースの伝票とアイスコーヒーの伝票が一緒にされてある。
──やられた……
俺はアイスコーヒーを一気に飲み干し、ダメもとで彼女を追いかけることにした。
「お会計1100円です」
「これで」
「1100円ちょうど、お預かりします」
俺は急いで店を出ようとした。しかし店員の一言で振り返る。
「レシートはどうされますか?」
「いります!」
俺はアイスコーヒー450円、ミックスジュース650円のレシートを握りしめ商店街の中を走り出した。
活動の糧にします。次はもっといい記事を