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十三の魂は来世まで続くのだろうか

8/9(水)

友人の男性と、近況報告がてらお酒を飲んだ。

1軒目でジントニックを3杯飲んだところでタトゥだらけのマスターにこちらが恐縮するくらい申し訳なさそうに閉店を告げられ、もう一軒行こうということに。集合時点からじゅうぶんに酔っぱらっていた彼は適当に「ここにしよう、来たことある」と入っていく。

そのカジュアルなバーには、じつはわたしも一度だけ来たことがあった。ふたりでボウモアのソーダ割りをお願いすると、バーテンダーはなつっこい笑顔でふたりの顔を交互に見て「お久しぶりですね」と言う。その様子に違和感を抱えながらもそうですねとわたしがうなずき、よく覚えてますねと彼が答える。するとバーテンダーはさらににっこりと笑ってこう加えた。

「おふたりみたいにきれいな飲み方をしてくださった方はね、覚えてるんですよ」

ははは、と笑いながら目をそらす。
だって彼のとなりにいた女性はわたしじゃないし、わたしもちがう男性と来てるんだから。

その「おふたり」は幻か、まったくちがう人物だ。わたしたちは、彼の過去に存在していない組み合わせ。得意げなのに否定するのも悪い、悪いけれどそれ以上話がふくらむのも気まずいから、「ははは」だ。

こういうとき、いつも妙にそわそわしてしまう。

中学生のころ、好きな男子とおしゃべりしていると彼が軽く「うちの親は既婚だからね」と言った。ちょっと賢い感じで。一瞬「そりゃそうだろう」と頭にハテナが浮かび、文脈をたどって数秒後に「『晩婚』のことか!」と合点がいった。右足のハネ似てるかも……と心の中でフォローにならないフォローをしながら、 一刻も早くその空中にただよう「キコン」という音を消したくて、「ああね」と肯定も否定もしない相づちを打つしかなかった。

このときの気まずさは、記憶という記憶が焼き畑されているわたしでも忘れられない。後にメールで「晩婚」という言葉を使ってみたけれど、伝わっただろうか。

先のバーテンダーの言葉や「既婚」くらいしょうもない話ならいいのだけど、もう少し真剣な話題でも、「ん?」と思ったときに「そうじゃなくて」がうまく言えないことは多い。

万一、責めるような声が出てしまったら? 「なんか細かいことにこだわってる」と思われたら? 恥をかかせてしまったら? そもそもその表明、必要あるんだっけ? 

ぐるぐる考えて、結局はその場を乱さないよう、あいまいな態度で言葉が消えるのをひたすら待つ。ほんとうに大切な話以外は、心から打ち解けている人と以外は、「ははは」「ああね」とへらへら。臆病で考えすぎなのは中1のころから変わらない。三つ子の魂が百まで続くなら、十三の魂は来世まで続くのだろうか。

ほかのお客さんと会話するバーテンダーを尻目にハイボールを飲みながら、いまや一流商社で働く「親が既婚」の彼の顔を思い出す。その映像はさっき感じた気まずさと同じくらい、ぼんやりと薄くなっていた。


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