死からいちばん遠いわたしは、今日も無敵
仕事で関わったPRムービーの完パケが送られてきた。
基本的に画面には映らないインタビュアーの仕事だったけど、じつは端役で一瞬だけ出演している。恥ずかしさもあって、ドキドキしながらそのシーンを迎えると……。
ドキドキが吹っ飛んだ。思わずパソコンの画面にかぶりついた。
「老 い て る!!!」
え、これ、わたしなんだ……? 頭の中で思い描いていた自分、普段鏡で見ている自分より、明らかに年齢を重ねてるぞ。なんで? シワ? いやまだシワ予備軍か? つまりハリが消失してるのか。あ、髪? 髪がパサついてるからじゃない?
……どっひゃー、ショック。
でも、自分でも意外だったけれど、「つらい」のショックじゃなかった。どちらかというと、「すごい」が強くて。
老いる。
「子どもは食べたいくらいかわいい」と同じくらい、知ってたけど実感がわかなかったことだ。たぶん今日、人生ではじめて「老い」を実感した。人は老いるのだ、と腹に落ちた。
そういえば。思い返せば外見だけじゃなく、20歳のときより疲れが残りやすくなったし、お酒にも弱くなった。肉の脂身がキツくなってきた。
わたし、絶賛老いてる、死に向かっている。
当たり前だけど、これに関して例外はない。1歳の娘も、お仕事をご一緒している人も、渋谷の街に溢れている人も、年齢の割にどんなに若く見える人も、死に向かっていない人は存在しない。
でも、それは見方を変えると、「残りの人生の中でいまがいちばん死と遠い」——よく言われる言葉だと「いまがいちばん若い」ということだ。
これに関して思い出したのが、以前、ライフネット生命共同創業者で現在はAPU(立命館アジア太平洋大学)の学長を務めていらっしゃる出口治明さんがおっしゃっていたこと。
「たとえばヨーロッパを旅したとして、若いときは塔の上までのぼろうと思えるけど年を取ると諦めてしまう。見れるものの幅が変わる、吸収力も違う。少しでも若いときに旅すべし」
少しでも若いとき、それは間違いなく「いま」だ。そしてこれは、旅にかぎった話じゃない。
読んだ本、観た映画、飲んだワイン、仕入れた料理の知恵、景色への感動。
きっとすべてが、「いちばん若い自分が出会えてよかったもの」になる(今日が短すぎるなら、今週でも、今月でもいいんだけど)。
いちばん若い自分はどんな仕事をして、なにを食べて、どこに行くんだろう?
ーーそんなふうに考えると、外見の衰えに失望している時間が、とてももったいない。むしろ、たのしい気持ちのほうが上回ってくる。やりたい放題したくなるし、なんだか愉快な気持ちになる。今日のわたしは無敵、な感じがする。我ながらものすごく単純だけどね。
どれだけ夜更かしができなくなり、法令線を見つけ、骨や内臓が弱っても、死からいちばん遠いのは、いま。それは「死」と「いま」が重なる瞬間まで変わらない。
今日も死に向かいながら、「いちばん若いわたし」は、なにをしよう。やりたい放題、してやりたい。