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かわりに怒ってくれるひとがいる

「えーっ! 裕子のことそんな雑に言うの、ちょっとちがくない!? ちょう物申したいんだけど!!!」

高校・大学時代からの友人(親友たち、と言っていいだろう)と神楽坂でおでんをつついているとき、ニューヨークから帰国して間もないYがそう声をおおきくした。もともと表現豊かだが、磨きがかかっている気がする。

彼女が憤ったのは、わたしがへらへら話した夫婦間の会話についてだ。夫から茶化しつつ言われた、わたしの性質に関するちょっとした悪口について。自分でも「わかる」と納得できるくらいの、ライトなツッコミだ。

しかし、笑い話として提供したわたしの予想に反してYは怒った。「感情豊かで独特なの、おもしろいし魅力じゃん、裕子のことそんなふうに言われたくないわー!」と、3本目のワインを「ほろよい」の缶をあおるがごとく流しこみながらプンプンしていた。

まあまあと笑いながらわたしは、うれしいなと思った。「そこがいい」と言われたことではなく、彼女が怒ってくれたことが。

夫に悪意がないのはわかっているけれど、自分のために怒ってもらえるってやっぱりうれしい。

***

やっぱり、というのも、その神楽坂の夜の数週間前にも同じようなことがあったからだ。それは仕事で、平たくいうとえらく傷つけられることがあり、「なんでこのひとはこんなことをするんだろう」とひさびさに、おどろくほど落ち込んだ。

自分が落ち込んだことを直視できず、「落ち込んだ」と受け入れるまで数日かかり、「なぜ落ち込んでいるか」をことばにするまでもっとかかった。

(このときもまだ「なぜ落ち込んでいるか」は言えていない)

でも、ようやくことばに結ばれたかなしみをことばにして、なんとか周りのひとにこぼしてみると……少なくないひとが怒ってくれたのだ。「ありえない」「信じられない」「どういうこと!?」。

そう言われたとき、つられ怒りはしなかった。ただ、「怒っていいことなんだ」とホッとした。そもそも怒る気力すらなかったこともあるけれど、その落ち込みに正当性があるのかとまどう気持ちもつよく、「繊細ヤクザなのかな……」と自分の感情に対して、腫れものに触れるように接してしていたから。感情を波立ててよいのだと許されたようで、それはとても救いになった。

それにしても不思議だった。だれかが怒るたびに、苦しさが空中に溶けていくようで。あれはきっと……いわば、愛情を浴びたからじゃないかな、とおもう。「怒る」という、それなりに疲れる行為を、自分のために発動してくれるだけの情を。

それは友情と言えるかもしれないしシスターフッドと呼べるかもしれない、あるいは師弟愛と呼ばれるものかもしれないけれど、ともかくわたしはおかしなことに、怒りを受けとることで癒やされていった。

「自分のことでどれだけ感情を揺らしてくれるひとがいるか」。それはふだんあまり考えないことで、でもこういうときにフロッタージュみたいに浮かび上がってきて、ありがたくて、とりあえずその気づきでこのできごとの元を取ったんじゃないか、そんなふうにおもえたりもした。

もちろん怒るひとばかりではない。じっと話を聴いてくれたり、解決策を考えてくれたり。それぞれ親身で、実際、建設的に考えるフェーズではとても助けられた。

けれども、一度ふくらませてしぼんだ風船のようにしょぼしょぼで、うまく息が吸えも吐けもできなくなっていたわたしにとって、怒ってくれるひとの存在が酸素だった。解決に向かうための、次にすすむ気力を蓄えるために必要な、蘇生装置だったのだ。


——と、そんなことがあったからなおさら、(自分はまったく気にしていなかったことでも)Yのことばがとてもうれしく、あたたかく感じられたのかもしれない。

この子が自分で怒ることができなくらい弱ったときは、わたしがその気持ちを守ってあげよう。いや、15年以上のつきあいで、わたしたちは無意識にそうしあってきたような気もする。

……ああそうだ、20代半ば、Yが男尊女卑の彼氏に価値観を押しつけられてしょんぼりしてたとき、烈火のごとく怒ったこと、あるな。ほかにもいろいろ、あるな。ははは。

わたしも、だれかのために怒れる人間でいたいも んだ。かわりに怒りたくなるようなひとにかこまれていたいもんだ。ふらふらの頭でワイングラスに手を伸ばしながらそんなことをおもった、神楽坂の夜だった。

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